万感ラスト采配。掛布2軍監督の自己採点「31点」の美学と苦悩と育成流儀
知られざる苦悩をグラウンドでは見せず笑顔で指揮を取った。 「明るく厳しく」 それが掛布の流儀だった。 選手との目線を大事にした。 「あまり上から選手を見て指導することは絶対してはいけないと考えていた。選手と同じ目線で、同じ気持ちになって、同じ汗をかいて野球をやらねばならないと感じていた。僕は60歳で、選手は子供か、孫の世代。今の時代と、我々の時代は違う。選手に変われ!という前に、僕らが変わらないといけない。僕らが距離を縮めなければならないんです。変えない幹はあってもね」 選手の主体性を大事して、ほめて、ほめて、長所を伸ばす。 そして、自戒をこめて、こう言う。 「優しい監督だったのかもしれないね」 変えない幹こそ、ぶれない打撃理論だった。 「レベルに体を使う」という掛布理論である。 ステップする側の足を踏み込み、体重移動の中で、回転軸は決してひとつではなく、体に巻きつけるように腕を使い、バットは、ダウン、レベル、アッパーの軌道を描く。 「人によって、軸を後ろ足に残すのか、前のひざで回るのか、体重移動の中、軸はひとつではなく、違ってくる。ただ、バットはレベルでなければならない。1本足打法の王さんもそう。踏み込みながら体重移動をして体をレベルに使っている」 今季限りの退任決定後、すぐに巨人の3軍との交流戦があった。台風に嫌われ試合は出来なかったが、川相3軍監督に退任の挨拶をすると、「阪神の若手のバッティングが変わったと評判です。掛布さんは若い選手にバッティングの何を教えられましたか、よければ教えてもらえませんか」と聞かれた。 掛布2軍監督は、レベルに体を使うことをメインにした話をすると、「中日時代、落合博満さんが教えていた理論とまったく同じです。やはり、そうですか、そこなんですね。参考になりました」と、川相3軍監督は驚いていたという。 DC時代から2軍監督1年目は、まだ落合氏が中日のGMで、名古屋へ行くたびに球団ブースで落合氏と打撃論を語り合った。「掛布のやっていることは間違いじゃない」と言われ、確信を得た。 プロとしてあるべき姿も語り続けてきた。精神論ではなく理念に近い。 「一人に強くなれと言った。打席では誰も助けてくれない。練習では手助けはあるが、ゲームはすべて一人で終了させなければならない。今の若い子はたむろする。群れをなす。野球は群れのようで、個々の集合体なんだ。群れをなす前に一人で強くなれと言い続けた。24時間の使い方の中で、一人でやる準備を例え10分でも、20分でも継続してできれば、1軍で通用する選手になれる。プロは、自分で解決していかなくちゃいけないことが多い。そのために自分でやらねばならないことを大切しなさいと言い続けた」 それは、この日、先発した藤浪晋太郎への最後のメッセージだったのかもしれない。