万感ラスト采配。掛布2軍監督の自己採点「31点」の美学と苦悩と育成流儀
掛布2軍監督は、会見で、「すっきりしています。もっと時間があれば、違う形をつくることできたのでしょう。(満足と不満足が)半々ですか、今はやりきった感がすごい」と言った。 来年以降、新しく考えていたファームでの取り組みもあった。継続していきたいテーマもあった。 志は半ばではある。しかし、退任に対して、行き場のないような怒りはない。それよりも、来年以降、自分から離れた若手がどう育っていくかへの期待感の方が大きい。 「ほとんどの選手が(2軍に)落ちてきた。それが寂しい。もっと力をつけなさいということ。この1年は無駄にならない。何が足りないか、何をすべきかを、北條たちもわかっていると思う。継続しなければいけない。北條ら、伸び悩んだ若手は、もうちょと1軍に定着して、監督、コーチが満足する数字を出さなければ、1軍で勝負はできない。やることは、まだまだたくさんある。背番号31番の後継者も育てられなかった。選手にも申し訳ない。次の指導者にバトンを渡し、いいチームを作ってもらう。広島のように時代を作っていかなくちゃいけない」 、 急遽、甲子園に場所が変更になった27、28日のラストゲーム。天気予報では、2日間共に雨天中止となる危険性があったが、ちょうど、試合時間を避けるように、前日は、試合が終わってから雨が降り、この日は午前中で雨があがった。浜風は強く吹いたが、それは、背番号「31」が、現役時代から、ずっと感じてきた甲子園の風だった。雲に切れ目が見え始めた甲子園に、控えめの掛布コールがこだました。 「現役時代を思い出したね。左のバッターボックスに入ったような、背中がぞくぞくっとする、なんともいえないもの。昔の掛布コールは、もっと熱いコールだったと思うが、いいものですね」 1988年9月14日の引退試合で「ありがとう掛布」の垂れ幕を見て涙した背番号31は、この日、脳腫瘍手術から再起を目指す横田と、腰痛に苦しみながら復活してきたホープの望月から惜別の花束をもらったときに目頭を熱くさせ、ずっと変わらず声援を続けてくれたファンへ心から感謝の言葉を伝えた。 「ファンの目が選手が育てる。ファンが鳴尾浜でも甲子園でも2軍の野球を見てくれ、我々に素晴らしい舞台を作ってくれる。私たちの指導よりファンの目なんです。私はここで一回引くが、今後も若い選手を厳しく、温かく見守って欲しい」 会見の最後に明日からゆっくりとできるのか?と聞かれて「これからも野球の現場の近くにいる。野球とは離れられないものじゃない。野球のそばにいるときが、一番、ゆっくりできる。これから1軍は厳しい戦いが続く。そういうものを見ながら2年間の反省をしていると思う」と答えた。 今日29日、阪神入団以来、電鉄本社に初めて足を運び、坂井オーナーへ2年間の報告と挨拶を行い、オーナー付のアドバイザー的な肩書きでの来季のチーム残留が正式に決まる。 他球団のチームマネジメントや、ファーム組織のあり方、アメリカの外国人獲得ルートの実態など、これまでの立場では学ぶことのできなかった部分を吸収して、阪神の未来に生かしたいと考えている。 ミスタータイガース、掛布雅之が追い求める夢には、まだ続きがある。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)