職場にいる「悪意なく怒らせる人」「空気が読めない人」は発達障害なのか?
誰もが発達障害的な特性を持っている
私たちは誰もが発達障害的な特性を持っていますが、その特性の程度が著しいものではないため、いま生活している環境の中では問題になっていないだけだともいえるのです。環境や時代によっては、先述した発達障害の特性が問題にならないこともあります。そのため、歴史上の有名な学者や芸術家などには、高い割合で発達障害的な特性を持つ人がいたとされることが知られています。 たとえば、職場に物怖じせず自分の意見をどんどん言えるタイプの人がいるとします。その人は、その組織では評価が高くても、別の組織では「空気が読めない人」になってしまい、本人は仕事がやりにくいと感じることがあります。 しかし、脳機能のある部分に他の人と多少の差があったとしても、社会生活や自分自身の心に大きな支障をきたさずに適応できているのであれば、「障害という枠に完全に入る」ということにはなりません。社会生活に支障がなければ、発達障害の診断基準に当てはまる特性を持っていても「発達障害」とは診断されないことになります。 そもそも、発達障害か否か明確な線引きをすることは難しいといわれています。そのため発達障害を疑って受診しても、精神科医によって診断が違うことも珍しくありません。同じ人でも診断名がついたりつかなかったり、または診断名が異なったりすることがあるのです。 これに対して発達障害を持たない人は「定型発達」と呼ばれます。定型発達とは、生後何年でこういうことができます、という「年齢ごとの発達の特性と比較して一般的な基準を概満たしている」という意味で、いわゆる「発達障害がない」という意味で用いられます。 小学校入学以降は、生活面(日常生活・授業態度や人間関係など)のほか、その学年の内容が定着しているかどうかという学習面で判断されることもあります。社会人になれば、職場環境や仕事などの社会生活に適応できるかどうかが1つの指標になるでしょう。 気をつけないといけないのは、「発達障害=困った人」「定型発達=普通の人」というわけではないということです。発達障害と診断される人でも、発達障害の特性が強みになっている人はたくさんいます。 「発達障害」と「定型発達」の明確な線引きが難しいとしたら、私たちはこれらの概念をどのように考えていけば良いのでしょうか。