「テレビドラマから考えた メディアは限度を超えて劣化した」内田樹
哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。 【写真特集】大物がズラリ!AERA表紙フォトギャラリーはこちら * * * 先日テレビ局の人と「オールドメディアが力を失った」という話をしているうちに、そういえば新聞記者やテレビのディレクターを主人公にしたテレビドラマがないねという話になった。 最近のテレビドラマの主人公はどんな職業人なのか調べてみたら、1位警察官、2位会社員、3位医療人、4位教師、5位探偵、6位弁護士、7位編集者、8位作家、9位料理人、10位銀行員だそうである。なるほど。メディア関係者では7位に編集者が入っているけれども、新聞記者もテレビ関係者もランキングには入っていない。 私が子どもの頃、NHKが「事件記者」というドラマを58年から66年まで放送していた。私も毎週食い入るように見ていた。だから、当時の子どもたちの「なりたい職業」の第1位は圧倒的に新聞記者であった。60年から61年にかけては丹波哲郎主演の「トップ屋」というドラマがあった。フリーランスの雑誌記者が政財界の暗部を暴露してゆくというドラマで、当時の週刊誌の反骨性が知れた。 私の記憶している最後の新聞記者ドラマは水谷豊が主演したシリーズで、1983年から2005年まで彼は役名を替えながら22年にわたって型破りの新聞記者を演じた。 テレビドラマの主人公は「硬直した制度を人としての情理で打ち破る型破りの人物」でなければならない。これは「踊る大捜査線」の織田裕二も、「HERO」の木村拓哉も「イチケイのカラス」の竹野内豊もみな設定は同じだった。「人としての、等身大の情理を以てシステムに敢然と立ち向かう」ことが主人公の条件なのである。だから、ジャーナリストを主人公にしたドラマが急減したというのはかなり深刻な事態だということになる。 東京新聞の望月衣塑子さん原作の「新聞記者」は映画とドラマが制作されたし、テレビディレクターを主要人物にしたドラマ「エルピス」も秀逸だった。でも、どちらも鋭く業界の問題を剔抉(てっけつ)してはいたが、ドラマを観た子どもたちは「この業界にぜひ行きたい」とは思わなかっただろう。メディア業界はもう「型破りの個人」が一人で補正できる限度を超えて劣化した。多くの人はドラマを観てそれを確認したのだと思う。 ※AERA 2024年12月16日号
内田樹