寄り添えるか、優しくできるか――綾野剛と常田大希が語るクリエイティブの「原点」
その『MIU404』は、コロナ禍で撮影が一時中断した。常田のKing Gnuも2020年8月に無観客配信ライブを行い、11月から12月にかけては、会場の入場者数を減らしたうえでアリーナツアーを開催。綾野もライブ会場に足を運ぶなど、お互いの活動を見続けてきた。 常田「あの時期にドラマっていうエンターテインメントを提供できるって、すげえなって思ったね。やっぱライブはどうしても、この環境にフィットしにくい。だから、俺は逆にテレビにけっこう刺激をもらった感じはあるかな。でも、『MIU404』の撮影もすごい押してたもんね」 綾野「緊急事態宣言が出る前後も様子を見ていて、結局2カ月半現場が止まった。俺たちもこの時期にロケしていいのか、常に悩んだ。全14話だったのが全11話になって、内容もテコを入れるべきなのか、自分たちがもともと持っていたエンターテインメントを届け切ったほうがいいのか、すごく悩んだ。ライブっていう環境はまだまだ完全復活はしてないけど、そのなかでも、不急ではあるだろうけど、不要ではないっていうことの確信が持てたのは大きかった」 常田「それはすごい感じたね。テレビも新しいものが作れなくなって、昔のものを再放送するっていう形が続いたじゃん。フラストレーションを感じた人はすごい多かったと思う。日々提供してもらってるエンターテインメントっていうのは、やっぱ必要だったんだって思い直す人は多かったんじゃないのかな。俺たちも、どうやったら活動できんだ、って試行錯誤してたんだけど、やっぱり『ライブをやるのが一番かっけえんだな』っていうのはすごい感じたことで。ストレートにライブをする様を見せるっていうのが、一番かっこいいんじゃないかなって」 綾野「うん、かっこよかったよ」
仲間に演奏を教えて「粉雪」をカバー
綾野は岐阜県出身、常田は長野県出身。ともに海のない県で生まれ、10歳の年の差こそあれ、成長する過程で音楽に魅了されていく。 常田「俺はもう完全に60年代、70年代のロックスターたちが好きだったね。『ウッドストックフェスティバル』(1969年)っていう、アメリカのヒッピーカルチャー全盛期のフェスを見て、『ロックかっけえ、音楽かっけえ』みたいな感じかな。バンドを組んだのは中学校だね。みんな演奏できなかったから、バンドを組むために教えてたね。(レミオロメンの)『粉雪』とか。沢尻(エリカ)パイセンの『1リットルの涙』がはやってたから」