こんなのあったの? 知る人ぞ知る「スーパーカー」 ひっそりと “消えた” 珍車 50選 前編
タトラMTX-4 RS(1990年)
世界経済が破綻する直前の1990年12月に初公開されたタトラMTX-4 RSは、チェコスロバキア初のスーパーカーを目指していた。リアエンジンのセダンで知られるタトラは、鉄のカーテンの崩壊後、新たな道を探り、年間100台以下の少量生産車を世に送り出そうとした。 デザインはベルトーネが担当し、パワートレインはそれまでのセダンと同じ空冷4.0L V8エンジンを使用。最高出力は218psと208psの2種類があり、後者は電子制御式燃料噴射装置を採用し、最高速度265km/hと謳われた。その後、不況に見舞われてしまい……。
ビター・タスコ(1991年)
元レーシングドライバーであるエーリッヒ・ビッターの立ち上げたビッター社は、SCに代表されるオペル車ベースのモデルで知られているが、時折、タスコ(Tasco)のような奇抜なものも作った。MGAディベロップメンツ社との共同開発によるもので、1991年のフランクフルト・モーターショーで発表された。 V8またはV12を搭載するように設計されていたが、実物大モックアップの段階から進展することはなかった。
シュパン962 CR(1991年)
シュパン962(Schuppan 962)は、惜しくも登場するタイミングを外してしまった不運な1台だ。元レーシングドライバーのヴァーン・シュパンが、ポルシェのアイコンである962の公道仕様を作ろうと企画したものである。 ツインターボの3.3Lフラット6を搭載し、最高出力600ps、最高速度350km/hを実現。50台の生産が予定されていたが、77万ポンドと高価だったため販売に苦戦した。結局、5台が出荷されただけで、1994年末に中止となった。
MCAセンテナーレ(1992年)
まるで実物大ミニカーのようなデザインだが、1992年に発表されたセンテナーレ(Centenaire)の当時の価格は50万ドルだった。ランボルギーニのV12エンジンをミドマウントし、イタリアの名門カスターニャ社がデザインを担当したが、モナコでのプレス発表会では誰も試乗を認められなかった。 6台が生産されたと言われており、1993年のル・マン出場も目指したが、残念な結果に終わった。販売も軌道に乗らなかったため、センテナーレの権利はマイクロカーメーカーのエクザム・メガ社に売却され、そこでモンテカルロ(Monte Carlo)という名で再出発したが、販売はやはり困難を極めた。