こんなのあったの? 知る人ぞ知る「スーパーカー」 ひっそりと “消えた” 珍車 50選 前編
ベクターW8(1989年)
1976年にコンセプトカーのベクターW2が発表された。デザイナーのジェリー・ウィーガート氏は航空技術に夢中になっていた。このW2の量産バージョンがW8で、1989年にようやく公道走行可能な状態で公開された。当時の価格は45万ドル。 W8の心臓部には最高出力600psのGM製6.0L V8ターボが搭載され、最高速度は320klm/hに達するとされていた。非常に高額であったものの、14台が販売された。1992年には76万5000ドルの後継車、WX-3が登場している。
ジャガーXJR-15(1990年)
不運なXJ220の開発に着手したのとほぼ同時期に、ジャガーはもう1台のスーパーカー、XJR-15も開発していた。XJ220には当初V12エンジンが搭載される予定だったが、代わりにV6ツインターボが採用された。一方、XJR-15は最高出力450ps のV12を獲得し、最高速度307km/hを実現した。 XJR-15は「ジャガー・スポーツ・インターコンチネンタル・チャレンジ」と呼ばれるワンメイクレースのために、50台のみが生産された。ロードカー仕様も生産され、そのうちの数台は現存している。2004年、ジャガー・スポーツがAJ-V8エンジンによってXJR-15を復活させる計画をちらつかせたが、このプロジェクトは始動すらしなかった。
マセラティ・チュバスコ(1990年)
1990年12月に発表されたチュバスコ(Chubasco)は、「これがマセラティの新しい顔になる」と謳われていた。堅実なビトゥルボの後に現れたミドシップのチュバスコは、刺激的なクルマとして大いに期待された。 シャマルの3.2L V8ツインターボを縦置きに搭載し、最高出力435psを発生する。マセラティは、F1並みのグリップと性能を声高に主張し、年間150台、計450台以上を生産すると見積もっていた。結局、プロジェクトはわずか半年後に中止となり、走行不能なモックアップが作られただけで、1台も生産されなかった。