「延命治療はしない」と言った母の死が変えた田村淳さんの死生観
――記憶のなかでは、一瞬の出来事のように感じたんですね。 はい。で、待たせていたタクシーに乗り込んだんですけど、妻に「もう全部言ってきた? あなたの気持ち」と聞かれ、タクシーを停めてもらい、とっさにドアを開けて、もう一度母ちゃんのもとへ駆け戻りました。 最後に、ハグしたくなった。 ぼく、そんなキャラじゃないんですけど…。帰ったと思った息子が再び現れたので、母ちゃんは驚いて目を丸くしていました。思わず、親子で抱き合いましたね。ぬくもりは感じるけど、がんでガリガリになっている母ちゃん。ぬくもりがあって、あったかいなと思いつつ、こんなに痩せて、かわいそうに…。いろんな思いがめぐりました。 でも、戻ってよかったです。
――お母さまの臨終は電話でのやり取りだったそうですね。 弟の電話で「母ちゃんの呼吸が浅くなって。お別れの時間だから」と言われ、「母ちゃん、ありがとう」と伝えました。実家を出るときに大きな別れがあったので、そのときは落ち着いて言えました。 ほんとうに、いままでありがとう。これからぼくが母ちゃんの遺志を引き継いで生きていきます。 不思議と、すがすがしい別れでした。すると、弟が「母ちゃんうなづいているから、兄貴が言ったこと理解していると思うよ」と話してくれました。
――振り返ってみて、心の整理はつきましたか。 最後のほんとうのお別れは、実家を出るときだったと思います。悲しいけれど、しっかりとお別れできてよかった。意思確認があって、闘病があって、その間に母ちゃんといろんなことを話せたし、まだまだ話したいという気持ちはあったにせよ、濃密な時間を共有できた。 母ちゃんとは、意識下のお別れと、息を引き取るお別れと、火葬場で肉体を焼くというお別れがあって、ぼくは3回のお別れがちょっとずつやってきて、自分のなかでも気持ちを整理する時間がありました。 人は、事故や急患で亡くなってしまう場合もあります。 そんなとき残された人はほんとうに大変です。だからこそ、なにかあることを見越して意思表示をしておいたほうが、楽だと思うんです。ぼくたちは母ちゃんの意思表示をちゃんと聞いていたので、迷うことが少なかった。それが意思表示を聞いてない場合、延命にいかざるを得ない、否応なしにそんな状況下に置かれると思うんです。 どう生きたいかがどう死にたいかにつながるし、どう死にたいかということがどう生きたいかにつながる。 やはり故人の意思をどうやって尊重する事ができるかというのが、送る側の使命だというのがはっきりわかりました。本人の尊厳や意思をいかに前もって、きちんとした形で家族が共有するか、がほんとうに大切なことだなと痛感しました。 それはすべて母ちゃんの死から教わったこと。今回『母ちゃんのフラフープ』を書いたのも、遺書動画サービス『ITAKOTO』もその流れですね。 いま、ぼくの書斎に小さな骨壷があって、毎朝手を合わせ、報告したり、相談しています。母ちゃんはこの世にいなくて、肉体はないんですけど、なんだか、生きていたときよりもたくさん“会話”をしているような気がします。