「延命治療はしない」と言った母の死が変えた田村淳さんの死生観
――それからどうしましたか。 退院して母ちゃんは家族に心配かけないよう自分の体調を口にしなかったんですが、実は、術後の痛みがずっと取れていなかったようなんです。自分でも痛みをしのぐ治療法を学んでいて、ぼくも東京のいいお医者さんを紹介してもらい、母ちゃんに勧めたんですが、「ありがとう。でも、遠いから体がしんどい」。 ちょっと嫌な予感もしましたが、母ちゃんは病状を深刻に伝えなかった。ぼくはそれを真に受けて、だから順調に回復しているように見えて、少し安心していました。その矢先の2017年にがんが再発。しかし母ちゃんはすごく冷静でした。「再発したけど、そんな心配することない」と。じゃあ今後どうする? すると「もう手術はしたくない」、はっきりとした主張でした。「もう体力が残ってないけえ。手術は体がしんどいんよ」。 そして延命治療はしない、と。体に負担をかけない治療があることを説明しましたが、「がんと向き合いながら、がんが大きくならなければ大丈夫だから。私の年齢だったらこのがんとともに生きていくっていう方法を、自分で探すし、それを支援してほしい」と言われました。「もうこれ以上、放射線をあてるとかメスを入れるとか、そういう治療はしたくない」とも。 思考がはっきりした状態でのメッセージだったので、これは母ちゃんの尊厳です。どうやって生きてどうやって死んでいくかということが、きちんと自分のなかで理想像があったので、だから家族会議ですっと決まりました。母ちゃんががんと向き合う余生をきちんとぼくたちでサポートしよう。
――闘病、看取りにちょうどコロナ禍の時期が重なってしまいました。 がん再発がわかってからは、頻繁に母ちゃんに会いに行くようにしました。だんだんとがんが悪さをして、転移してというのがわかっていくと、あとどのくらい生きられるかということがいっそう気になります。 ところがコロナがはじまり、会いに行きたいけど思うように会いにいけない。行ったとしても家族ひとりしか面会できないという状況に世の中全体がなった。 そんななかぼくは、行けるかぎり母ちゃんに会いに行きました。心残りはそこで解消されました。でも、もうちょっと会って、こんな話すればよかったあんな話すればよかったというのはあります。