「この映画は『失敗例』」。統合失調症の姉と家族を記録した映画『どうすればよかったか?』監督が語る胸中
「間違っていたのは、両親の説得に25年かかったということ」
―お父さんとの対話のなかに出てきて、タイトルにもなった『どうすればよかったか?』という言葉。これは監督自身やご家族に向けられているようでもあれば、観客に向けられているようにも思えます。どのような意図を込めてこのタイトルに決めたのでしょうか? 藤野:最初は『生きるとはどういうこと?』というタイトルを何となく思い浮かべていたんです。姉の変化を機に、他者についてや、この世界に生きることについて少し考えるようになったので。加えてゴダールみたいな文章っぽいタイトルにできればなと(笑)。たださすがにわかりにくいなということで考え直しまして。 ドキュメンタリーもそれ以外の映画でも、観客は映像に対し問いを立てながら観ることが多いじゃないですか。問いのない映像には興味をそそられないし、問いがあればそれが作品のフックになる。ならそれを念頭に観てもらうために、問い自体をタイトルにしようと考え、『どうすればよかったか?』に決めました。そのうえで先ほどの質問にあった2つの前提を冒頭に示し、みんなが考えそうなことを消しておくことで、これについて考えてほしいという道筋をつくるようにしたんです。 ―最後に、監督が当時を振り返ったときに、「誰が」「どうすればよかった」と考えますか? 藤野:実は姉について後悔していることはないんです。最初の急性症状が出たときに、僕は30分以内に救急車を呼ぶという正しい判断ができていたので。ただ間違っていたのは、両親の説得に25年かかったということ。どう考えても長すぎるし、姉に対して申し訳ない。これを失敗と言わずして何と呼ぶのか。だから後悔があるとしたら、もっと早く両親を説得すべきだったということ。 ただ両親は医者かつ研究者であり、合理的判断ができるはずだったのに、その二人に話が通じないとなるとどうすればよかったのか。無理矢理入院させれば良かったという人もいますが、それがうまくいくとは到底思えません。彼らが認めない入院を病院が認めるとは思えないし、入院させることができたとしても両親が連れ帰ってくる。そして僕が無理矢理病院に連れていこうとしても、姉は赤信号で車を降りるし、身体を縛ったりしたらトラウマにもなりかねない。どう考えても両親を説得する以外の方法はなかったと思いますが、どうすれば説得できたかはいまだにわかりません。
インタビュー・テキスト by ISO /リードテキスト・編集 by 服部桃子