「この映画は『失敗例』」。統合失調症の姉と家族を記録した映画『どうすればよかったか?』監督が語る胸中
冒頭に示される「二つの前提」の真意とは
―冒頭に、この作品の前提が二つ明示されます。それはこの作品が「姉が統合失調症を発症した理由を究明することを目的としていない」「統合失調症とはどんな病気なのか説明することも目的ではない」ということ。これらをまず示したのはなぜでしょうか? 藤野:まず統合失調症というのは現段階でその原因が判明していない。だからこの映画のなかで、原因を推測してもそこに根拠はないし、基礎がないところに家を建てる話になってしまう。でも観ていると両親の教育が悪かったとか娘を責めたからとか、つい病気の原因を考えたくなるだろうから、それは本作の目的ではないし推測しても意味がないことを観客に示しました。 そして僕は精神科医でも専門家でもないから、統合失調症を説明することはできない。実は姉の主治医のひとりにこの映画について相談したときに協力できないと言われたんです。というのも、素人である僕が統合失調症の人を題材とすることを危ういと感じたんでしょうね。僕は統合失調症についてではなく家族についての作品だと説明したんですが、「観客はその意図と別のものを受け取るかもしれない」と言われて。でもそれはあらゆる表現に言えることだと思うんです。とはいえ主治医の言うことも一理あるので、「本作は統合失調症について説明するものではない」と始めに明確にしておきました。 ―撮影した素材はトータルでどれくらいあったんですか? 藤野:撮った期間のわりには短くて、だいたい80時間ぐらいですね。2008年に姉が精神科医に入院した部分など、撮影した携帯が壊れたとかで紛失した素材も結構あって。基本的にはビデオカメラで撮影していましたが、いろんな場面で撮影できるので携帯で撮った映像もかなりありました。最後に姉がピースする映像も携帯で撮ったんですよ。 ―お葬式のシーンもおそらく携帯ですよね。 藤野:当初は僕も葬式を撮るつもりはなくて。でも、葬儀のなかで父が言った「姉の人生はある意味充実していた」という言葉があまりに許せなくて。統合失調症をなかったことにして、自分のなかで事実を書き換えていたんです。それで姉の最期を撮ることにしました。 ―80時間もあった素材を約100分の映画として編集していくからには、目指すビジョンが明確にあったかと思います。何を焦点にして、どのように編集をしていったか教えてもらえますか? 藤野:大声を出す姉を両親は統合失調症だと認めませんでした。この映像を観る人も、姉が本当に病気なのかをまず自身で判断すると思うんです。だからその判断材料となる日常の光景と、両親や姉との対話をメインに入れていきました。最終的に、母が認知症になり父ひとりでは二人の世話をしきれなくなったことで、姉は入院することになります。そこに至るまで両親がなぜ姉の入院を拒んだかの理由はわからないけど、入院を許可するに至った理由は映像で見せられると思い、その点を意識しながら編集していきました。 その後、姉が亡くなりますが、癌や死は今回のメインテーマではなかったので、その部分は短くしました。当初は姉が亡くなったところで締めようと考えていたんです。ただそれだとどうも終わった感じがしなくて、まだ存命である父のインタビューを撮って終わりにしようといまのかたちになっていきました。