「この映画は『失敗例』」。統合失調症の姉と家族を記録した映画『どうすればよかったか?』監督が語る胸中
「『子どもは親の所有物である』という感覚を持つ人が一定数いる」
―2008年に治療で症状が回復したお姉さんと、それ以前の出来事や記憶についての話はしたんですか? 藤野:聞く選択肢はありましたが、それについてはあえて聞きませんでした。取り返しのつくことなら聞けたけど、失った25年という期間はあまりに大きすぎるので。ドキュメンタリーをつくるならどんな質問も許されるなんてことはありませんし、そんな権利もない。うまく聞く方法があったかもしれませんが、僕にはできなかったんです。 ―当時のことについてお父さんに監督が尋ねる最後の対話は胸に迫るものがありました。個人的に驚いたのは「どうすればよかったか?」という問いにお父さんが「失敗したとは思わない」と答えていたことでした。 藤野:その直前に僕が「うちは失敗例だ」と言ったんです。それに対し父は「失敗じゃない」と答えたんですよね。ただ僕が納得する答えを言うまで続けても、それは父の本心ではないとわかっていたので、くどくは聞きませんでした。期待するようなことを引き出せなくとも、それが内包するものは観ている人に伝わるかなと。 ―お姉さんが統合失調症と呼ばれることをお母さんが極度に嫌がっていた、ともお父さんは語っていましたよね。 藤野:そう言っているだけで、嫌がっていたのは父なのだと思います。最初に姉を搬送したときも、姉を入院させるべきでないと連れ帰ったのは父ですから。ただそんな両親に対して処罰感情はないし、人間性を否定したいわけではないんです。でも二人が間違えたことは明らかだし、その理由を知りたいだけで。 ―監督はその理由をお父さんに確認していきましたよね。病気を恥じたからか、治療法がなかったからか、病院で虐待される可能性があるからか、と。 藤野:それに加えて、両親は自分たちで何とかしなければと思ったんじゃないかなとも考えていて。通院歴があると姉の国家資格が通らなくなるとか、研究者としての道が閉ざされることもきっと心配していたと思うんです。それで何とかしようとしたんじゃないかなと。それでも上手くいかなかったんだから、どこかで病院に連れていくべきでしたけど。 ―当時、そういう社会の偏見や差別はあったんでしょうか? 藤野:あったと思いますし、そういった偏見はいまもまだ存在すると思います。何か事件が起きたら「精神障害者じゃないか」と言われたり、「精神障害者はずっと閉じ込めておけ」と言ったりする人は未だにいますよね。ただ当事者が病気について理解してもらおうとYouTubeで発信するなど、徐々に世の中の状況は変化しつつあるとは感じます。 日本で暮らしていて感じるのは、「子どもは親の所有物である」という感覚を持つ人が一定数いるということ。当然ですが、親だからといって子どもの命を奪うことも、人生を操るようなこともしてはいけない。でも子どもは親のものだという考え方をする人はまだ多いように感じます。 ―ディレクターズ・ノートによれば、監督は「精神障害」という言葉が誤った印象を与えてしまうと考えているんですよね。 藤野:「精神障害」と言うと、それは心の問題だから親の教育や本人の考え方のせいだとか、人間性に責任が転嫁されてしまうんです。でも精神ってかたちのないものですし、ウイルスが精神に感染するなんてことはないじゃないですか。問題が発生しているのは精神ではなく脳ですよね。 ほかの臓器に問題が発生したときも大なり小なり精神状態に影響しますし、脳は特にその影響が大きいから精神の障害と思われているだけで。脳の障害なのに、精神の障害というから恥じる気持ちが生まれるのだと思います。そもそも統合失調症は原因がわかってない病気なのだから、誰かが責任を取ったり恥じたりする必要はないですよね。