殺人犯・クラシコフの釈放に固執したプーチン政権の損得勘定
米露両国など7カ国が関与した計24人の囚人交換が8月1日、トルコのアンカラ空港で行われ、ロシアは米国人記者や元米海兵隊員、反体制活動家など16人を解放、欧米側はスパイ罪などで収監中の8人(未成年者を含めれば10人)を引き渡した。冷戦後最大規模の囚人交換であり、ロシア・ウクライナ戦争下でも情報機関を介した米露交渉が機能したことを意味する。 交換釈放は一方で、ロシア側が重犯罪者の奪還に成功するなど課題を残した。ロシア側が最も解放に固執したのは、ドイツで殺人罪を犯して終身刑を言い渡された連邦保安局(FSB)工作員のワジム・クラシコフ受刑囚(58)だった。そこには、情報機関出身のウラジーミル・プーチン大統領率いる特異な諜報国家ぶりが見えてくる。
愛国者を取り戻す
プーチンは1日夜、モスクワのブヌコボ空港に特別機で到着した10人をレッドカーペットで出迎え、握手をして肩を叩くシーンを、ロシアのメディアが大々的に報じた。プーチンは簡単な挨拶で、職務への忠誠に謝意を表明、「あなた方のことは一時も忘れたことはない」と述べ、今後勲章の授与やロシアでの将来について話し合うと約束した。 真っ先に降りてきたクラシコフとは抱き合ったが、クラシコフは2019年、ベルリンの公園でジョージア出身のチェチェン共和国独立派の軍事部門指導者、ゼリムハン・ハンゴシビリを銃殺し、終身刑を受けた人物。白昼、多数の子供や母親のいる公園に自転車で乗り付け、ピストルで3発撃って殺害し、逃走した。銃やかつらを川に投げ捨てるところを児童らに目撃され、すぐ警官に逮捕された。 ドイツ検察当局によれば、クラシコフはFSBの極秘部隊「ビンペル」の要員。ロシア当局の命令に従って行動し、犯行の1カ月前にFSBから偽のパスポートや資金を渡され、6日前にベルリン入りして機会を狙っていたという。クラシコフは犯行を否定したが、21年に終身刑が言い渡された。 ドイツに亡命していたハンゴシビリはプーチン政権初期の第二次チェチェン戦争でロシア軍と戦う独立派部隊を指揮した。プーチンは今年2月、米ジャーナリスト、タッカー・カールソンとの会見で、「あの盗賊が何をしたか知っているか。捕虜になったロシア軍兵士を道路に寝かせ、その頭上に車を走らせたのだ」と述べ、クラシコフを「愛国的な動機からこの男を清算した人物」と形容し、必ず祖国に連れ戻すと話した。 ロシアは2006年、過激派やテロリストを海外で超法規的に殺害することを認める法律を制定し、チェチェン独立派幹部らをしばしば殺害してきた。