「発達障害者らしく生きたらいいんだ」そう思えるまでに10年。転職を繰り返していた私が、特性に合った仕事と幸せを手に入れるまで
大阪府在住の石橋尋志さんは、27歳の時に発達障害だと診断されました。当時は、まだ「発達障害」という病名もあまり知られておらず、思いよらないことでした。ただ、その頃、石橋さん自身も職場でうまくいかないことが多くて悩んでいました。病気が原因だと知ってから、石橋さんは自助グループに入り、同じ発達障害の人と出会うことで新境地を開きました。 【データ】共働き世帯と専業主婦世帯、割合は? 女性が働きづらさを感じている原因は? ※本記事では、取材対象である石橋さんの言葉やお考えををそのままお届けしています。当事者としてのご発言であり、そこに差別的な意図は含まれていないことをご理解のうえ、お読みください。 【発達障害、生きづらさを考える #6】
どの職場も長続きせず、職を転々
石橋さんは社会人になると、どの会社でも長続きせず、3年くらい勤めては辞め、転職を繰り返しました。 「学生の時は忘れ物が多いとか先生から注意されるとかいうことはなく、私自身もごまかしてなんとかやってきた気がします。課題を出さないなど内申点に影響することはありましたが、勉強は並くらいの成績でしたし、大学にも進学しました。 ただ、達障害の人は社会に出て社会生活をしようと思うと苦労します。 大学を卒業した時は、リーマンショックの真っ只中。100社エントリーシートを出しても1社くらいしか面接してもらえませんでした。結局、自分でハウスクリーニングの会社を始めたのですが、ADHDなのでうまくいくはずありません。お客さんもつかず、借金だけが残ってやめてしまいました。」 当時は派遣が盛んだったので、石橋さんは派遣で固定電話の営業の仕事に就きました。 「新規開拓の仕事です。とにかく電話して、アポイントを取って会いに行き、契約を取る仕事でした。タウンページを見ながら上から順番に電話するのですが、ADHDの失敗にめげない特性もあってか、断られてもダメージを受けません。普通の人なら50件、100件でメンタルをやられてしまうところですが、次のことしか見えないので、はい次、はい次、はい次と電話できます。150件でも200件と平気で電話できるんです。数打ちゃ当たるので成績も上がり、正社員になりました。」 ところが、正社員になると、電話以外にもいろんな仕事をこなすことが求められました。 「電話もしなあかんし、見積もりも作らなあかんし、契約を取った後の進捗も管理しなあかん。一気に仕事ができなくなりました。契約は取れるのですが、電話の開通まで行くことができず、結果が出せないのです。 解雇されたわけではありませんが、自主退職を促すような空気になり、耐えられずに辞めてしまいました。2社くらい同じパターンで退職し、3社目の途中くらいの時に、『このままではいけない』と思って病院に行きました。」