「発達障害者らしく生きたらいいんだ」そう思えるまでに10年。転職を繰り返していた私が、特性に合った仕事と幸せを手に入れるまで
診断されたが、「治療法はない」
石橋さんのお母さんは小学校の教員をしていたのですが、発達障害がテーマの研修会に出た時に、「これはうちの次男のことだ!」「あんた、これちゃうか?」、と本を買ってきてくれました。 「私生活でも忘れ物がとても多くて、約束をしていたのに忘れてしまうことも度々ありました。忘れ物はうっかりというレベルではなく、あらゆるものを忘れてしまいます。持っていくのを忘れるし、持っていくと持って帰るのを忘れてしまう。定期や財布、鍵、なんならカバンを置いてきたこともあります。衝動性や多動、注意欠陥もありました。」 石橋さんは自閉症の自助グループの人に教えてもらった病院を受診し、発達障害だと診断されました。 「医師に、『治療法はない』と言われて、『えー、そうなんや、これは自分で考えなしょうがないな』と思いました。母からもらった本の巻末に、アメリカには発達障害者の自助グループがあると書いてあったので、これはええやんと思い、ある発達障害の女性と自助グループを作りました。 治療法はないのですが、ADHDの薬が処方されました。それを飲むと8時間くらい頭が冴えるので、頭が冴えているうちに自己訓練をしてくださいと言われました。自己訓練は、自分がどんなミスをするとか、どんな時にミスしやすいのかということを自分で把握して、そうならないように、もしくはミスしてもひどいことにならないように準備をすることです。」 石橋さんは、その方法は正しかったと言います。 「当時も今も治療法がないのは変わりません。あの先生は、変に治せますとか頑張ろうよとか言わず潔かった。おかげで私は無駄にお金を使ったり治療法を探したりせずに、自助グループに入ることができました。その後、自分の自助グループを立ち上げました。」
自分の特性に合う会社に就職
診断がついてから2年後、石橋さんは、現在勤めている会社に就職しました。その会社は石橋さんの特性に合っていたそうです。 「職種と社風が私の発達特性とマッチしました。小さな5人くらいの建築会社なので、タイムカードがありません。いい意味でいいかげんです。遅刻しても文句を言われないし、早退しても途中で抜けても現場対応さえしていたら何も言われません。 建築の現場は40種類くらいの業種があるのですが、それぞれ完全に仕事が分かれています。大工さんは大工さん、左官屋さんは左官屋さん、僕は監督なので監督の仕事だけしていたらいいのです。 同じ建築でも、私には職人は無理なんです。でも、コミュニケーションが非常に得意なので、お客さんの要望を聞いて、それを職人さんに伝えてやってもらっています。 幼い頃から、よく喋る子、口から生まれた子と言われていて、それが自分の発達特性です。 建築には全く興味がなかったのですが、たまたま合いました。」 仕事は順調ですが、相変わらず忘れ物が多い石橋さん。ある工夫をして忘れないようにしています。 「定型者のように、決まった場所にものを置いておくというような方法は全く通用しません。 そのため、1週間同じズボンを履いて、同じ上着を着ます。絶対に服を変えず、持ち物は全部身につけています。カバンも持たず、全て持ち物は身につけています。そうしたらいちいち物を出さなくていいのです。鍵もなくすという前提で、5個も10個も作ります。携帯電話はポケットに入れないでホルダーで腰につけています。 日常生活を工夫しないといけないのでおしゃれはできないのですが、何かを手に入れようと思えば何かを手放さなければなりません。 物を落とすという前提、失くすという前提で、自分の特性に合わせた生活に組み立て直す、要は生き方を変えるということです。」