【インタビュー】野村深山(檜三味線製作、演奏者)「日本の木の音色に信念を持って2000挺の檜三味線を送り出しました」
「福祉施設と中学生への指導、そして自分の演奏を続けてゆく」
──三味線の銘木はどこで探すのですか。 「わざわざ買い求めたことはなく、たとえば、お寺の建て替えで、廃材となった本堂のケヤキ材を“捨てるならください”ともらい受けたり。山形へライブで呼ばれたときは、山形大学の先生が案内役になって、地元の材木店から3挺分のいいブナ材を無料で譲り受けました。林野庁の方からは“北海道厚岸のイチイの木でつくりませんか”という話をいただくなど、周りのみなさんが、普通じゃ手に入らない銘木をくださったんです。 なかでも、最も数多く使用した素材が木曽ヒノキです。それも樹齢400年以上という銘木中の銘木を伐採して残った大きな切り株を製材して、“これで檜三味線をつくるといい”と言われて始めたもので、もう2000挺の檜三味線を送り出しました」 ──今はどんな日々をお過ごしですか。 「月の3分の1は、福井から新幹線で上京して、世田谷区にある知的障害をもつ人の就労支援の施設『白梅福祉作業所』の利用者さんに檜三味線の演奏指導をしています。その期間は世田谷に泊まり込んでいます。この仕事は25年以上前から続けていて、最初は檜三味線40挺を利用者さんと一緒に手づくりすることから始めたんです。きっかけは私がコンサートを終えてスタッフと居酒屋で打ち上げをしていたら、かたわらで飲んでいた女性グループが“コンサート会場にいたんですよ”って。それが白梅福祉作業所の職員の人で“うちの施設にも演奏に来てくれませんか”と頼まれたのが縁の始まりです」 ──教え子の腕前のほどはいかがですか。 「7年ほど前ですが、木曽で、檜三味線の全国大会を開催したことがあって。白梅福祉作業所の利用者さんは団体の部に出場したんですが、全国30団体のなかで優勝したんですよ。一番の大人数だったこともあって、結構な迫力でね。私は中立の立場でどこにも票は入れなかったけど、ほかの審査員のみなさんが“感動しました”と言っていました。 月のもう3分の1は福井の国見中学校で檜三味線の奏法を教える授業を受け持っています。音楽の授業の一環で1年生は琴、2年生は檜三味線、3年生は和太鼓を習い、演奏発表会もやるんです。私自身のライブの依頼もスケジュールがあえば引き受けます。ですから、日々の明け暮れは何かと忙しい」 ──今後の目標は何かありますか。 「とくにありませんがね。よき相方だった女房は8年前に亡くなっていますが、いずれ私が逢いに行くまでは健康第一を心がけていこうと。朝は必ずラジオ体操をして、ウォーキングもして、好きなお酒を飲みすぎないよう、愉しくたしなむようにしてますよ」 野村深山(のむら・しんざん) 昭和20年、群馬県生まれ。有能な営業マンだったが、40代半ばの平成元年に会社を辞し、自身が創案した「木づくり三味線」の奏者に転身。国内外を精力的に歩いて演奏活動を行なってきた。かたわら希望者には製作を指導し、世に送り出した檜三味線は2000挺近くに及ぶ。CD『木曽檜三味線の響』は「アラビアのじょんから」など全10曲を収録。野村深山工房(電話:090・8097・1300)で購入可。 ※この記事は『サライ』本誌2024年8月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/佐藤俊一 撮影/多賀谷敏雄 取材協力/デイサービスヨウコー早稲田)
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