ラグビー元日本代表の五郎丸が引退会見「22歳でプロ契約していた瞬間から35歳での引退を決めていた」
――引退会見を最後のシーズン前に行った理由は? 「私自身が決めたことです。終わった後にするのが本来の形だと思いますが、新型コロナの影響で昨シーズンのトップリーグは6試合で終了しました。それが要因の一つです。もう一つ大きな要因は、2015年(のW杯)後から、多くの方々に支えていただき、応援いただきました。そういった方々にシーズン前にしっかりと挨拶をさせていただき、ラストを迎えることが礼儀だと考え(開幕前の)会見を承諾してもらいました」 ――32年間のラグビー生活を振り返って一番の思い出は? 「32年もしていると1番を選べなくなりますが、日本のラグビーの歴史を変えた(2015年W杯の)南アフリカ戦は、心に残っていますし、次のスコットランド戦の大敗も思い出のひとつです。ヤマハで入れ替え戦を戦ったのも…。一番(を選ぶ)というのは難しいですね。すべての試合、すべての練習が一番。一番を選ぶことはできません」 ――早稲田時代の一番の思い出は? 「皆さん一番が知りたいのですね(笑)。早稲田に入学するまで日本一タイトルを個人でもチームでも経験したことがありませんでした。1年生で初めて日本一を取ったことは特別な瞬間でした。翌年の日本選手権でトヨタ自動車に勝ったことは、ワールドカップ2015年に大きくつながっていると思います」 ――福岡で3歳からラグビーを始めてから今まで貫いたことは? 「“日々の努力、夢の近道”という言葉がぴったりだと思います。3歳から始めたラグビーを小4でいったん止めて、小4、5、6年と、サッカーを始めて、またラグビーに戻るわけですが、先のことを考えず目の前に与えられた環境でひとつひとつを積み上げたことが今につながっています」 ――2015年のW杯では、五郎丸ポーズが流行しました。その時の心境と。今、振り返ってみると? 「ラグビーを続けてきた人間としましては、一人にフォーカスされることに違和感を感じていました。ラグビーには、誰かヒーローが出るわけではなく、チームのみんなが仕事を全うした上で勝利が見えるという競技性があります。ただラグビー(の競技人口や人気)が広がっていない以上、それが私の仕事といいますか、魅力を広げていくことを与えられた使命と感じてここまでやってきました。ただ最初は少しきつかったです。考え方を変えれば素晴らしい機会をいただいたと思います。あのポーズから入ってラグビーが好きになった、選手が好きになったという方がひとりでもいれば、ラグビーを続けてきた意味があるのかなと」