『光る君へ』の明子のモデルは六条御息所?葵の上への恨みで生霊になった御息所。聖地「野宮」で執着を祓い清め人生をリセットか
◆野宮での光源氏との別れ 能「葵上」では鬼女にも喩えられる六条御息所ですが、私たちが漠然と抱いているイメージも、嫉妬に狂うあまり正妻を(そして、たぶん夕顔をも)とり殺してしまった、気位が高く執着心の強い女性といった感じではないでしょうか。 その後、六条御息所は、光源氏への想いを断ち切るため、斎宮(さいくう)に選ばれた自分の娘とともに伊勢に下ることを決意。野宮(ののみや)で精進潔斎の日々を過ごします。そこに光源氏が訪ねて来て未練を語るのですが、揺れる心を隠し、源氏を突き放します(巻10「賢木(さかき)」)。伊勢から戻ると六条御息所は出家し、娘(前斎宮)の後見を源氏に託して亡くなります。そして源氏は、前斎宮を入内させ、冷泉帝の后にするのです。(巻14「澪標(みおつくし)」) 冷めたはずの関係なのに、相手が都を離れると聞くと、わざわざ会いに行き、「この榊(賢木)の葉のように変わらぬ心なのに……」などと思わせぶりな歌を詠む。光源氏という人はつくづく罪つくりですね。 その切ない逢瀬の舞台となったのが、嵯峨野の野宮。伊勢神宮の斎宮(正式名称は斎王。天皇の代理として伊勢神宮に仕えるため、天皇即位時に選ばれる)となる皇女・女王が1年ほど滞在し、身を清めた聖地で、現在は、その跡地といわれる場所に野宮神社が鎮座しています。嵐山に来た観光客が必ずといっていいほど訪れる「竹林の小径」あたりといえば、わかりやすいでしょうか。 『源氏物語』に描かれた野宮の象徴、黒木(樹皮のついたままの木)の鳥居と小柴垣は、現在の野宮神社にも受け継がれています。神に仕える皇女が身を清めた清浄の地だけあって、境内を奥へと進んでいくと、なんともいえない厳かで清々しい空気を感じます。
◆寂しい場所ではなかった野宮 虫の声が響く夕霧の松林、吹き渡る風に枯れた秋草が揺れるといった具合に、『源氏物語』の野宮は、都から離れたうら寂しい場所として描かれています。ですが、「野宮として使われていた時代は、そんなに寂しい場所ではなかったはずですよ」と、野宮神社の宮司・懸野直樹さんは語ります。 「静かな田舎のように思われているのですが、平安時代、嵯峨野のあたりは貴族の別荘地で、御所のほうから人の行き来も頻繁にあったんです。当時は竹林ではなく、松林が広がっていて、虫の声を聴いたり、紅葉狩りをしたりと、特に秋に賑わっていたようです。また、野宮の敷地は今の神社よりもかなり広く、斎王にお仕えする人も200人くらいいたと考えられています」 野宮の殿舎は斎王一代ごとに取り壊され、建て替えるならわしだったといいます。造営する場所も同じではなく、近辺で移動しており、頻繁に使われた場所が神社として残っていると考えられるとか(野宮神社のほかに、斎宮神社、西院野々宮神社などが現存)。7世紀後半から約660年続いたこの斎王制度については、別の機会に詳しくご紹介したいと思います。 懸野宮司によれば、紫式部が『源氏物語』の執筆をはじめた頃、一条天皇の斎王は既に伊勢に赴いており、野宮は使われていなかったそうです。 「ただし、以前使われていた建物はある程度残っていたかもしれません。廃墟のような雰囲気があったので、あんな寂しい描き方になったのではないでしょうか」 これは興味深い指摘だと思います。