96歳ハンドメイド作家「誰かの役に立てたら」60年続けた絵画教室の後、羊毛フェルトの販売に挑戦。手作り作品が人気
◆尽きない創作意欲 フェルト針を持つ手を動かしながらにこやかに語る山下さんだが、これまでを振り返ると波瀾万丈の人生だ。 生まれは1929年。高等女学校4年のとき、父の赴任先の北京に家族で渡った。単身で寄宿舎に入ったが、1ヵ月後に敗戦を迎える。戦後の混乱を経て、なんとか約1年後に帰国し、家族と涙の再会を果たした。 そして美大に通う姉に憧れ、武蔵野美術大学彫刻科へ進学。しかし父親は大陸から引き揚げてきたばかりのうえ、きょうだいのうち6番目だった山下さんは、自力で学費を稼ぐことに。 「焼け残った荻窪の実家で、大学に通いながら絵画教室を始めたんです。従姉妹が子どもの友達を16人も集めてくれて、本当に助かりました」 先輩と夜な夜な新橋や銀座の盛り場に行き、似顔絵描きにも勤しんだ。「デッサンの腕を磨くことはできたけど、酔っ払い相手の仕事は嫌なこともありましたよ」。
大学卒業後、同級生だった男性と結婚し、夫の仕事の都合で名古屋へ。長女の出産を機に専業主婦となり、次女が小学校に上がる際に東京へ戻る。 それをきっかけに東久留米の団地の集会場で再び絵画教室を開いた。当時は児童の絵画教室がブームで、教室はつねに満員。多いときは3クラスで80人以上になった。 「観光バスを貸し切って動物園へ写生に行ったり、2泊3日の夏期講習をしたり。大変でしたが楽しい思い出です」 教え子たちの作品は毎年のように公募展へ出品され、山下さんも指導者賞を何度も受賞した。 子どもたちを飽きさせないために、水彩画や七宝焼、銅板レリーフなど幅広いジャンルのもの作りを学んでは教えた。児童絵画ブームが去ったあとも、大人向けのクラフト教室を始めると引き続き人気となる。 「外出先で、『そのアクセサリー、素敵ですね』と声をかけられるんです。『私が作ったんですよ』と言うと、教えてほしいとおっしゃる。こうして生徒さんが増えていくの(笑)」 生徒が増えたためアシスタントとして美大生を集めた。世話好きの山下さんは、「アルバイト代を渡すほかにご飯を作って食べさせて。自分だって疲れているんですけどね(笑)。そんなだから働きすぎで心臓が破けちゃったんです」。72歳で心臓の手術を受けることになった。 「そのときに引退を考えて、生徒さんたちに手紙を書いて知らせたんです。ところが退院して帰宅したら、『先生、いつ教室を再開するんですか。子どもたちが待っています』とお母さんたちが言うの。子どもたちは心配するどころか友達まで連れてきちゃって(笑)。結局それからまた7年、教室を続けることになったんです」 社交的で創作意欲旺盛のまま、81歳まで頑張り続けてきたが、一人暮らしを心配した次女夫婦の誘いもあり、港区のマンションへ引っ越すことに。山下さんは、老若男女たくさんの生徒たちに惜しまれながら、のべ60年教え続けた教室を閉じた。
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