昭和100年へ 信は力なりー京都工学院が継ぐ〝伏工精神〟 9大会ぶり伝説ジャージーが花園に帰ってくる!(後編)
それから43年の歳月が流れた。この間、伏見工はさらに3度の全国優勝を果たす。校名は2016(平成28)年に「京都工学院」へと変わり、「伏見工」の名前はもうない。学校も移転した。当時の校舎は解体され、跡地の一角には高崎が校長を務める昼・夜間4部制の京都奏和高が建ち、住宅開発も進む。
同志社大、神戸製鋼でも日本一になり、「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾も校名変更と同じ年の10月に53歳の若さで亡くなった。
それでもチームを貫く精神は変わらない。
『信は力なり』
24(令和6)年11月、全国大会京都府予選決勝で京都成章を10-8で破り、現校名では初めて、伏見工時代から9大会ぶり21度目の花園出場を決めた京都工学院のFB広川陽翔主将(3年)はその意味をこう語った。
「自分を信じ、仲間を信じ、やってきたことを信じること」
この冬、伝統の赤黒のジャージーが久しぶりに聖地・花園に帰ってくる。(敬称略)
81歳の今も京都工学院ラグビー部の総監督を務める「泣き虫先生」山口良治氏は9大会ぶりの花園出場を決めた11月10日の京都府予選決勝をスタンドで見届け、「ほんとうにうれしい。ありがとうしかない」と歓喜の涙を流した。
★山口氏「赤いジャージーが花園に…」
81歳の今も京都工学院ラグビー部の総監督を務める「泣き虫先生」山口良治氏は9大会ぶりの花園出場を決めた11月10日の京都府予選決勝をスタンドで見届け、「ほんとうにうれしい。ありがとうしかない」と歓喜の涙を流した。
試合は京都成章の攻撃を耐え、少ないチャンスを生かして競り勝った。「攻撃は少なかったけど、杉山君(SO杉山祐太朗)を中心に落ち着いて戦っていた。(この日のタックルは)選手がやることはそれしかない。徹底してくれた」とたたえた。
2度の脳梗塞を患い、杖が手放せないが、今冬の花園には足を運ぶつもりだ。「(伏見工時代から続く)あの赤いジャージーが花園に出てくるのを楽しみにしてくれている多くの方がいるでしょう」と喜び、選手たちの奮闘を期待した。