残酷な戦争を童話で描いた野坂昭如の "ファンタジー" 朗読と音楽で表現『イノチノコト 忘れてはいけない物語』
【リュンコ(語り)】 1953年西宮市出身。高校卒業後「演劇センター付属青山杉作俳優養成所」を経て、75年、山川三太率いる「劇団究竟頂・銀テント」旗揚げに参加。野坂昭如さんの代表作『エロ事師たち』の登場人物から、芸名を「リュンコ」とする。退団後、96年に福岡市で和食「博多うまか遊び庵」開店。 【持原淳二(脚本・構成・演出)】 1957年生まれ、北九州市出身。CMプランナー・CMディレクターとして43年。「博多通りもん」「マルボシ酢」「人権CM」など、これまでに約1000本以上のテレビしーえむを制作。自身6種類のがんを患い、その体験談を基に講演活動を行う。 ■野坂昭如さんが紡いだファンタジー 朗読役はもう1人いまして、田中富士夫さんです。 【田中富士夫(語り)】 1980年より劇団テアトルハカタにて演劇を学ぶ。今日まで43年間役者、タレント、マネージャーとして芸能の世界に携わる。舞台「つりしのぶ」、「キューポラのある街」、「火曜サスペンス劇場」、「東芝日曜劇場」、ラジオドラマ「NHKFMシアター」など。 田中さんが冒頭、この舞台の意味を紹介してくれました。 (朗読) 戦時中の1943年(昭和18年)8月16日、空襲による爆撃で檻が破壊し猛獣類が脱出する恐れがあるとして、東京都は上野動物園に「1ヶ月以内に猛獣を殺処分せよ」と「戦時猛獣処分命令」を出しました。そして、日本中の動物園の猛獣たちの殺処分命令も下されたのです。わが子のようにいつくしんで育てた動物たち。自分を信頼しきっている動物たちの命を、自らの手で殺さなくてはいけなかった飼育員と職員たち。これは動物園史上、最もおぞましい殺害劇となったのです。 実はこの命令には、動物たちの悲劇的な死を国民に知らしめることで、戦況悪化の覚悟を求め、敵国に対する憎しみを倍増させるという、軍当局の意図が背景に隠されていたのです。 非常に悲しいというか、おぞましいというか……。実際に、熊本の動物園では象が殺害されていて、その時に目撃した少年がまだ生きておられます。お父さんがゾウの飼育員だったのです。この金澤敏雄さんにリュンコさんたちは会いに行って、聞き取りなどもされています。殺害を命じられたお父さんが実際に電気ショックを与えて命を奪うところを金澤少年は見ていたのです。
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