きたむらさとしさんの絵本「ミリーのすてきなぼうし」 スケッチブックにアイデアの種をまいて
空想することや絵を描くことが大好きだった
――きたむらさんは、お兄さんの影響を受け、子どもの頃から絵を描くことが好きだったという。 兄が子どもの頃から絵が好きで、その影響で物心ついた頃から描いていました。小学生の頃は手塚治虫が大好きで、『鉄腕アトム』を模写するなどしていましたが、空想したものを絵にすることが面白く、毎日何かしら描いていました。もしかしたら、そんな日々が今の仕事につながっているのかもしれません。 中学生の頃はイラストレーターの和田誠さんの絵が大好きでした。どうしてあんなに少ない線で、人の顔をこんなにそっくりに描けるのだろうと感心して、和田誠風に最小限の線で似顔絵を描こうと、授業中に先生の顔を熱心にスケッチしていました。ある先生に「見たぞ、先生たちの似顔絵」と言われ、叱られるのかと思ったら、「うまいな」と褒められました。悪意はないものの多少皮肉のまじった絵だったのですが、描いたものの中に、その先生の顔がなかったのがよかったのかもしれません。卒業するときには、別の先生が「きたむらは、いつも先生の顔を食入るように見つめながら、授業を聞いてくれたなあ」と感慨にふけっていたのですが、先生の顔をいかに描くかに集中していただけで、授業の方はさっぱり聞いていませんでした(笑)。 ――その後、ある人との出会いからイラストの仕事をはじめたことがきっかけで、きたむらさんはイギリスに渡ることに。 自宅は東京・目黒区でしたが、兄が高校を卒業後に国立市に引っ越して、週末を兄のアパートで過ごすことがありました。国立という場所柄、兄が親しくしていた人たちには、音大出身の人や武蔵野美術大学、東京造形大学の学生も多くいました。その中の一人で、武蔵美を卒業したばかりの櫻井健雄さんという方に誘われたのがきっかけで、イラストレーターの仕事をするようになりました。櫻井さんはデザイナーで一緒に仕事をすることが多く、彼からいろいろ学びました。櫻井さんは「仕事のことで愚痴を言わない」「人の悪口を絶対言わない」「とにかく目の前の仕事を黙々とやる」という人で、自分が初めて社会に出たときに、こういう人から仕事を教わったのは運がよかったと思います。当時は全く意識していなかったのですが、ずっと後になってとても大事なことを学んでいたと気がつきました。 その後、仕事で出会った写真家に「君は、外国に行った方がいい」と、何度も言われて、お金も貯まってきたので、ひと休みして行ってみようと思ったんです。英語が好きで、英会話教室に通ったり、ラジオで勉強をしたりしていましたが、ちゃんと習得したいという気持ちもあって、まずは、イギリスに。そこが合わなかったらアメリカに行こうと思っていましたが、でもイギリスにすっかり馴染んでしまって、そのまま2年くらい滞在しました。 ――その頃、ぼんやりと絵本に興味が出てきたという、きたむらさん。 日本にいる頃から、ストーリーと絵を両方手掛けることに魅力があって、実験的に描いてはいたんですが、ある日、絵本のアイデアが浮かんできたんです。広告の仕事でプレゼンテーションの方法はわかっていたので、1分くらいで読めるような短いものを描いて、返信用の葉書を入れて出版社に送りました。10社くらい送って、7社ぐらいから「興味がある」という返事が来たんですけど、その頃は景気も悪くて、なかなか出版まではたどりつきませんでした。 そのうちお金もなくなってきたので、画廊に絵を売りに行ったら、個展をやらないかと誘われて、小さな展覧会を開きました。そこに、以前に一度会った出版社「アンデルセン・プレス」のクラウス・フルーガー社長が、絵本の原稿を持ってきて、この原稿に絵を描かないかって声をかけてくれたんです。その文章がすごくよくて、下書きを描いて持っていったら、これで行こうということになりました。それが最初の絵本『Angry Arthur(ぼくはおこった)』です。 ――アーサーがおこると、雷がなり、嵐がおそい、町がひっくりかえる……。宇宙まで広がっていく子どもの怒りのパワーを表現した『Angry Arthur』は、イギリスの新人絵本画家に与えられるマザーグース賞を受賞。きたむらさんは、その後30年間、イギリスで絵本作家として活動し、多くの作品を手掛けてきた。 『Angry Arthur』で、ハーウィン・オラムの素晴らしい文章に出会えたのが幸運でした。絵本の文章として、これ以上のものに出会ったことがありません。この絵本を3ヵ月かけて描きながら、いろんなことを経験しました。10冊、20冊手がけても学べないくらいのことを学べたと言ってもいい。それほど、絵本のテキストとして、優れた文章でした。 これまでに日本で先に出版したのは『わたしのゆたんぽ』(偕成社)と『ポットさん』(BL出版)だけ。今も基本的にはイギリスの出版社から出版しています。イギリスで仕事を始めたこともあって、習慣的に最初から文章も英語で書いています。自分にとっては英語が自然に絵本の言語になっているのかもしれません。英語の言葉から物語が発想されることもあります。『ミリーのすてきなぼうし』は、原題が『Millie's Marvellous Hat』。英語に「Putting on your thinking cap(hat)」という表現があって、ものを「熟考する」という意味ですが、直訳すれば「考え帽子をかぶる」となるのが面白く、それがアイデアの一端になりました。 ――本作をはじめ、きたむらさんの作品には想像力や個性をテーマにしたものが多いように感じるが、特別意識しているわけではないという。 自然とそういうものになってしまうんじゃないでしょうかね。人に対する思いやりや同情も想像力からきているもの。想像力は人にとって一番大事なことだと思うので、それを刺激するものを作りたいという思いはあります。かといって、想像することが大事だと教えようと思っているわけではなく、絵本を読んで自然に面白いと思ったり、想像力が刺激されたりするようなものになればいいと思います。別の言い方をすると、作り手が想像力を自分の中でどこまで引き出して作品にできるかが大事だと思うんですね。まだまだ、たくさん描きたいものはあります。アイデアはたくさんあるけど、どれもが本にまとまるわけじゃなくて、本として完成するのはわずかなものだけです。友人の絵本作家デビッド・マッキー(『ぞうのエルマー』の作者)もよく言っていましたが、一生かかっても、描きたいもの全部は描けないのかもしれませんね。 <きたむらさとしさんプロフィール> 1956年、東京生まれ。79年にイギリスに渡り、82年にイギリスで絵本作家としてデビュー。デビュー作『Angry Arthur』(邦題:『ぼくはおこった』、評論社)でイギリスの新人絵本画家に与えられるマザーグース賞を受賞。以来、イギリスを拠点に世界的に活躍を続け、現在は日本に在住。絵本作品に『ぼくネコになる』(小峰書店)、『スマイルショップ』(岩波書店)など多数。翻訳に「ぞうのエルマー」シリーズ(BL出版)などがある。
朝日新聞社(好書好日)