和菓子好き・川田裕美のふるさとの味! 鎌倉時代から続く老舗店の「くるみ餅」[FRaU]
食のスペシャリスト&グルメに精通する識者で構成される「FRaU Foodies」が、今イチオシの料理やスイーツなどをお届けします。今回は、フリーアナウンサーの川田裕美さんが、地元・大阪の甘味をレコメンド。約700年続く老舗和菓子店の銘菓です。
名付け親は豊臣秀吉! 鎌倉時代末期から続く老舗和菓子店
川田さんがおすすめする和菓子は、大阪・堺市の老舗店「かん袋」が誇る銘菓「くるみ餅」。「私の生まれ育った大阪泉州地域の伝統菓子。小さい頃から食べているふるさとの味です」。 名前からすると、くるみが入っているように思いますが入っていません。ではなぜ「くるみ餅」なのか。その由来を川田さんが教えてくれました。「うぐいす色のあんにお餅がくるまれているから『くるみ餅』と言うそうです」。 くるみ餅を販売している「かん袋」の歴史は古く、鎌倉時代末期に遡ります。1329(元徳元)年、和泉屋徳兵衛が「和泉屋」という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。 現在の屋号「かん袋」になったきっかけは、あの豊臣秀吉。安土桃山時代に秀吉が大阪城を築城する際、堺の商人納屋衆へ多額の寄付を要求しました。その御礼として、桃山御殿完成の際、商人納屋衆を呼び寄せたそう。 しかし、その時、天守閣は瓦を葺く工事中。職人が一枚一枚瓦を運び上げているのを見た徳兵衛は、これではなかなか片付かないと、餅作りで鍛えた腕力でもって瓦を取っては次から次へ屋根の上に放り上げました。 風に煽られた瓦は、まるで紙袋が舞い散るように屋根へと上がっていきます。これを見た秀吉は「かん袋(紙袋)が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えたのです。「以後、かん袋と名付けよ」と命じられ、商号が「和泉屋」から「かん袋」に変わりました。
看板商品の「くるみ餅」ができたのは、室町時代中期。その頃堺は明(当時の中国)との勘合貿易の港として栄えていました。五代目の主人・和泉屋忠兵衛は、明から届いた農作物を利用して、塩味で挽き合わせて餅を作りました。 これをくるんで食べたことから「くるみ餅」と名付けられました。その後、ルソン(当時のフィリピン)から砂糖が輸入されたことで甘味を加え、現在の「くるみ餅」の味ができあがったのです。