小児がんで娘を亡くし「どう生きていけば」…喪失感の中、見つけた生きがいは菓子作りだった 「同じ患者たちの支援に」売り上げを寄付し、絵本を出版。母は子を想い今日もシフォンケーキを焼く
山々に囲まれた岐阜県高山市の住宅街の一角で、荒田由香さん(48)はシフォンケーキ屋を営んでいる。地元の米粉や卵、飛騨牛乳と、産地にこだわった素材で焼き上げたケーキが並ぶ店内には、甘い香りが漂う。 【写真】4歳だった息子は、病室で「ぼく、死む」と何度も口にした 治らない病を「闘える病」に変えた骨髄バンク、必要なのは一人でも多くドナー
店の壁には、高校の制服姿の女の子が弟と笑顔でシフォンケーキをほおばる絵が飾られている。この女の子は、荒田さんの娘の歩佳(ほのか)さん。小学6年、12歳だった2015年8月に、血液のがんの一種、急性リンパ白血病で亡くなった。 娘を失った後、どう生きていけば良いかわからなくなった。長く深い喪失感の中、生きがいとなったのが、好きな菓子作りだった。ケーキ作りを通じて小児がん患者を支援したいと、売り上げの一部を支援団体に寄付するように。今年は自身の経験を絵本にして出版した。2022年冬に開いた店の名前は「思歩音(しふぉん)」。歩佳さんを、いつまでも想い続けている。(共同通信=村社菜々子) ▽発症、がむしゃらな看病の日々 2012年の2月、小学3年だった歩佳さんは急性リンパ性白血病を発症し、名古屋市の病院に10カ月間入院した。由香さんは月5万円を超える部屋を借り、寝泊まりしながら付きっきりで看病した。「毎日がむしゃらだった」と振り返る。
退院後は半年間、通院を続けた。岐阜県高山市から名古屋市まで150キロ以上、高速道路を使って月に1度、家族そろって通った。骨髄移植のドナーの適性を測るため、「HLA」と呼ばれる白血球の型を見る検査も受けたが適合せず、骨髄バンクでドナーを見つけた。 2013年10月、名古屋市の病院で骨髄移植を受けた歩佳さんは、自宅療養と通院を経て、翌14年2月ごろからは地元の小学校に通えるほどに回復した。ボブヘアのウィッグをかぶった娘を車で送迎する毎日。初めは1時間だけ、午前中だけだった登校時間が次第に延び、1日中、学校にいられる日も増えた。9月末の運動会ではリレーにも出場した。しかし、穏やかな時間は長くは続かなかった。 ▽再発、当たり前の日常を送った後に 風が冷たくなり始めた秋頃、歩佳さんが突然肺が痛いと訴えた。近くの病院を受診すると肺炎の可能性があると言われ、血液検査で小児がんの再発が判明した。「つらい時期を乗り越えれば、あの平和な日々が戻ってくると思っていたのに」。なぜ娘にばかり試練を与えるのかという怒り、治療が報われないことへのむなしさ、再治療を始めて生じる娘への副作用の恐怖…。「初めてがんが発覚したときよりもショックは大きかった」。打ちのめされたまま、名古屋での治療に再び付き添う生活が始まった。