小児がんで娘を亡くし「どう生きていけば」…喪失感の中、見つけた生きがいは菓子作りだった 「同じ患者たちの支援に」売り上げを寄付し、絵本を出版。母は子を想い今日もシフォンケーキを焼く
抗がん剤治療の副作用で体調を崩し、集中治療室(ICU)に移動した時に「お母さんはどこで寝るの」と心配し続けた歩佳さんの姿が今でも忘れられない。もう一度骨髄移植を考えたが、副作用で苦しむ娘を前にその決断はできなかった。 ICUを出たのは年が明けた後だった。楽しい記憶をできるだけ多くつくるために病院外で過ごす時間を増やそうと、治療方針を変更した。東京ディズニーランドへ出かけるなど思い出作りのさなか、免疫力低下による感染症防止のために、とにかく消毒作業とマスクの着用が欠かせなかった。「今はコロナ禍の影響で当たり前に思うけど、当時は消毒液が置いてある店の方が珍しかった」 卵が好きな歩佳さんは、自宅で卵焼きをよく作っては食べていた。家族一緒に食事をして同じ部屋で眠る、ごく当たり前の日常を送った。 歩佳さんは2015年の8月28日、父母に見守られ亡くなった。由香さんは現実が受け入れられず、時間だけが過ぎていった。 ▽スーパーでふと目にしたシール
「自分はどう生きていたいんだろう」。頭の中から問いが離れなかった。ある日、スーパーで手に取ったバナナに貼られたシールに目が止まった。金色のリボンのイラストとともに、小児がんの治療研究への助成などを行うNPO法人「ゴールドリボン・ネットワーク」の支援としてバナナの購入費が充てられるとの説明があった。「こんな支援方法があるんだ」。なんとなく、頭の片隅にひっかかった。 2020年の冬、ネコカフェの運営を企画する知人に「なにかやってみないか」と誘われ、空いたキッチンスペースを貸し出された。思い立った由香さんは好きだったシフォンケーキを焼いた。次第に調理にのめり込むようになり、材料や配合量にこだわったオリジナルのシフォンケーキを作り続けた。2022年の冬、自宅のデッキを増築し、娘の名前にちなんで「思歩音」と名付けた店を開店した。 店を始めてしばらくしたころ、バナナのパッケージにあったシールを思い出した。「私にもできることがあった」。シフォンケーキをゴールドリボン・ネットワークの提携商品として登録・販売し、売上金の一部を寄付するようにした。次第に小児がん患者のために、他にも何かできないか前向きに考えるようになっていた。 ▽成長した娘は、シフォンケーキをほおばる