イスラエル北部にも広がる戦火、民兵組織ヒズボラの侵入に高まる懸念 鳥の鳴き声がよく聞こえた土地には今、爆撃音が響いていた
「良い隣人になろうと思えばなれると思う」。ハゾレアさんが窓から外を見る。視線の先にはイスラエルとレバノンの国境地帯が広がっていた。 ▽日本にも輸出されるアボカド 「レバノン側の国境地帯にある民家から攻撃してくるのを見た」。国境に程近い北部のキブツ(集団農場)クファルギラディで軍服姿のニサン・ゼエビさん(40)が言った。机の上には銃が置かれている。 住民のほとんどは退避しているが、ゼエビさんら一部の住民は残って警備に当たっている。望遠鏡でレバノン側の動きを監視していると、ヒズボラとみられる戦闘員が攻撃してくるのが見えるという。 ゼエビさんは元々、スタートアップ(新興企業)に資金援助する仕事をしていた。しかし最近の治安情勢を受け、軍から委託され、軍服に身を包む生活に転じたという。 家の窓の外には美しく豊かな自然が広がっている。家の外の木には果実が実る。「(クファルギラディで)生産していて、日本にも輸出しているんだ」と、取り出した立派なアボカドを見せてくれた。
「農業が盛んで、若い家族もいた。夢のような場所」。ゼエビさんはクファルギラディについてこう表現する。しかしヒズボラとの交戦で「180度変わった。戦闘地域になってしまった」。妻と8歳と4歳の息子2人は退避しているという。寂しそうな視線を遠くに向けた。 ゼエビさんが説明している間、砲撃か迎撃かは明確には分からないが、体が震えるような重い音が続いていた。 ▽子どもたちは口には出さないけれど 木々と土の香りがし、牛の鳴き声が聞こえる。モシャブ(協同組合村)ベイトヒレルでも住民の多くは退避している。そんな中、トミーさん(76)は農業や牧畜の仕事をするために残っている。取材の途中にも数回、牛の世話で席を立った。 トミーさんは欧州生まれ。イスラエルの建国間もない1951年に移住した。父親はナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生存者だという。 1967年の第3次中東戦争、1973年の第4次中東戦争、2006年のイスラエル軍とヒズボラの大規模戦闘―。トミーさんは繰り返される戦闘を目の当たりにしてきた。現在は夜間に攻撃音が響くこともあるが「いくつも戦争を経験してきたので眠ることができる」と苦笑いした。