シューズもラケットも遠征交通費も自腹を切る…「先生が教える部活」が限界を迎えつつある3つの理由
■片道100km以上の移動も自己負担 部活動に関する交通費も自腹です。たとえば、競技によっては土日に練習試合を多く組んでいきます。私もよく遠方の中学校や近隣の自治体で行われる複数校集まる合同練習会に参加しました。そのなかでたくさんの教員と交流したり、さまざまな指導法について情報交換させていただいたりしたことは自分の財産となっています。 しかし一方で、その交通費は自腹が前提でした。片道1時間近くかけて会場に向かい、往復で50~60km運転することもしょっちゅうです。その移動距離に比例したガソリン代ももちろんかかります。最高で、片道100km以上の道のりを向かったこともありました。高速道路を使ってしまうと、余計にお金がかかってしまうので、国道を延々と運転せざるを得ません。 なぜ「仕事」として行う部活動の交通費が自己負担なのでしょう。現場では当たり前の話になっていますが、疑問を感じざるを得ません。 さらには、大会に参加する際にも費用が発生することがありました。生徒と同様に、指導者も競技団体に毎年登録する必要が生じることが競技によってはあります。その登録費用も自腹です。このお金を支払わないと指導者としてのライセンスが発行されず、大会のベンチに入ることができません。なぜ、「校務」として行うことに対して自腹を切らなければいけないのか、疑問を感じました。それも安い金額ではありません。 ■「教員=自己犠牲」という古い価値観 さらには、大会を運営するにあたり、審判を務める場合もあります。その際の審判着の着用も義務のケースがあります。 このときに使う審判に関する用具一式も教師の自腹です。ひと通り揃えると何万円単位になることも当たり前にあります。自ら手配したり、各種競技連盟がつながっているスポーツ店から買ったりするケース等、さまざまです。 部活動についての金銭的負担について紹介しました。このように、一般社会では当たり前の感覚が、教育現場にはありません。 「教育=聖職」という古い価値観から、自己犠牲を払って教育活動に従事することを美徳とするものがいまだにあるのかもしれません。もちろん、最低限の出費はやむを得ない部分もあると思います。自分も、自ら競技についての理解を深めたり、研鑽を重ねるための「対価」として支払ったりすることは必要だと思っています。実際、必要だと納得したものについては、自分で買い揃えました。 しかし、実社会において支給されて当然のことを教育界の常識として旧来のままにしておくことは、いかがなものでしょう。一般社会との価値観の「ズレ」を正し、労働への適切な対価が支払われてほしいと切に願います。 ---------- 根本 太一郎(ねもと・たいちろう) 中学校教員 土浦日本大学中等教育学校教諭社会科主任。1991年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科西洋史専攻卒業。一般企業勤務等を経て、福島県公立学校にて8年間勤務後、現職。社会科の授業を通した『感動』を生徒にもたせるため、教壇に立つ。歴史教育を核に高等教育機関との連携を図りながら、国際理解教育、金融教育、防災教育の実践・研究を進めている。明治大学教育会事務局員、初等中等金融経済教育ワークショップ事務局長、FESコンテストアンバサダー、関東ESD活動支援センターアドバイザー。「心豊かな社会をつくるための子ども教育財団提言コンテスト 2023年『For A Brighter Future―心豊かな社会をつくるために私のやりたいこと』コンテスト 大賞」受賞。おもな著作物に『社会科「個別最適な学び」授業デザイン事例編』(明治図書、分担執筆)などがある。 ----------
中学校教員 根本 太一郎