シューズもラケットも遠征交通費も自腹を切る…「先生が教える部活」が限界を迎えつつある3つの理由
■上下関係ではなく対等を心掛けた結果 また、「指導者」という立場にこだわるのではなく、対等な関係性を心がけました。プレーについて生徒から教えてもらったり、アドバイスをもらったりしながら一緒に時間を過ごしていくことで指導のポイントを発見していきました。まさに日々が学びの連続でした。 やはり、教師と生徒という上下があるような関係ではなく、ひとりの人間として対等に向き合って過ごすことが大切だと、この当時の生徒たちは教えてくれました。 その後、ともに過ごす時間が多くなるにつれて、少しずつですが部員たちとの絆が生まれていきました。大会を通じて少しずつ成長したり、それをもとに練習したりすることを繰り返していくなかで、「県大会優勝」を目標に日々の練習に取り組みました。そのころには放課後、顔を合わせるのが楽しみになっていたことを思い出します。 とくに、3年間部活動を通して過ごした部員たちの卒業式の様子は忘れられません。卒業式終了後、いつも練習していた校庭に移動し、花束と寄せ書きをもらったあと、私への「感謝の気持ち」を円になって大声で部員が伝えてくれました。 ■生徒と一緒に一喜一憂することの大切さ その瞬間、これまでの悩みや苦労、喜びや感動が一瞬で駆け巡り、涙が止まりませんでした。 コロナ禍で大会の中止や練習の削減が繰り返された代であったため、彼らの苦悩を身近で感じていました。そういった背景を思い浮かべるとより一層込み上げてくるものがありました。 感謝の気持ちを伝えるにも、涙が溢れてしまい、浮かんできた思いをたどたどしく伝えることが精一杯でした。 ほかにも、うまくできなかったプレーができるようになった瞬間、一緒に考えた作戦がはまって勝ったとき、同じ課題をクリアするために一緒に悩んだこと、コロナ禍で思うような練習ができなくなったり、大会がなくなってしまったときに虚無感を覚えたりしたことなど、思い出は数多くあります。 専門外という指導の困難さから、逃げ出したいと思うことはたくさんありました。そんななかでも支えになったのは目の前の生徒たちでした。それは、そのあとの学校でも同様です。目の前の生徒から「学ぶ」こと。「対等」な立場で「伴走者」として歩んでいくことを心がけること。それが何よりも大切であると思います。