【福田麻琴さん】順調だったキャリアを中断しパリ留学したのは「失恋したから」!? 唯一無二のスタイルが確立するまで
師匠はCMを中心に、女優さんのスタイリングが多かったそうです。福田さんの仕事はアシスタント業務に加えて、師匠の家の手伝いをすることもありました。 「今考えると、スタイリング以外のこともたくさん学ばせて頂いたなぁ、と。ファッションやアート、音楽などのカルチャーに詳しく、バイタリティがある人でした。私の母は専業主婦だったので、自分にとって一番身近な働く女性として憧れる存在でした。アシスタントは常に2、3人いたのですが、みんなで分担して家仕事をするのも楽しかったです。私は虫が平気だったので、庭仕事を担当することが多かったです!」 食事の場面では、料理に合う器、季節の取り入れ方など、たくさんのことを教わりました。もちろん料理も! 庭仕事では芝の張り替え、花壇の植え替えもやりました。彼女が好きな白い花だけの花壇を作ったら、とても喜んでくれたことを今でも覚えています。 「ファッションがメインの仕事とはいえ、日常の小さなことに気を配ること、生活の中で美意識を高めることを教わったのは彼女からです。ファッションやインテリア、彼女の真似をして買ったものも多くあります。たくさんの影響を受けました」
スタイリストとして独立し仕事は順調だったが…失恋を機に「人生は一度きり、やりたいことをやろう」とフランスへ
3年ほどのアシスタント期間を経て、ずっとやりたいと思っていた雑誌の仕事に挑戦します。ファッション誌でのスタイリングをベースに、トレンドの最先端を追いかけ、リアルな着こなしを提案する楽しさを味わいながら充実した日々を過ごしますが、ある日大きな転機を迎えます。 「失恋でした。結婚するかどうかの微妙なタイミングでそうなってしまったので、とてもショックでしたね。ちょうど30歳の時です。何があるかわからない。人生は一度きりだから、やりたいことをやろうと思いました。そこで思い立ったのが留学です。実は子どもの頃、ぼんやりと外国での生活に憧れていました。仕事は充実していたし、軌道に乗っていたスタイリストの仕事を離れることに不安もありましたが、仕事は好きなことやらせてもらっているんだから、まだやっていないことに挑戦しようと思って」 留学先は、当時の福田さんの年齢でワーキングホリデービザが取れる3つの国から、ファッションの国=フランスということで即決。語学を勉強しながら、ファッション関連の仕事に関われればと、フランスへ旅立ちます。 「向こうに知り合いがいたこともあり、現地のコーディネーターさんの手伝いや日本から来ていた撮影チームの手伝い、パリのファッションスナップなどをしました。日本から来たチームはアシスタントが不在なことも多かったので、スタイリストのアシスタントもやりましたね。パリはもちろん、南仏まで足を伸ばすチームもいたので、いろいろな場所に行けて本当に楽しかったです」