武藤敬司59歳、引退決断の理由──決め手は主治医の一言だった
「オレだってカチンとくる」言葉とは
武藤の感性は、常に支持を集めてきた。 若手時代、基本的な技で構成する暗黙のルールがあるのに、コーナーポストからバク転して自分の全体重を浴びせるムーンサルトプレス(初期はラウンディングボディプレスと呼ばれていた)をフィニッシュホールドに用いる新機軸を最初から打ち出すのだから。 「ヘンテコなムーンサルトやったら、客がウケたんだよ。そこから常用することになった。感性は感性なんだけど、要はお客さんの反応なんだよな」 1995年10月9日、高田延彦に勝利したUWFインターナショナルとの全面対抗戦は翌日のスポーツ新聞でほぼ全紙の1面を飾るなど伝説の一戦となった。足4の字固めという超クラシックな技で試合を決める新鮮味も、武藤だからこそカッコよく見えた。 「見慣れた技だけどインパクトはあったと思うし、何より(高田を破ったことで)説得力が出た。膝はもう調子が悪かったし、ムーンサルトだけに依存しないでよくなった。オレはあそこで生き残ったんだよ。オレのスタイルはこうだって、確固たるものになった」 武藤の手に、もとい、足にかかれば旧機軸も新機軸にリニューアルできるのだ。ムーンサルトも足4の字固めも見る者のサプライズを誘った。膝を相手の横っ面にぶつけるシャイニング・ウィザードだって同じだ。痛みを抱える膝を打撃でぶつける発想は普通のレスラーにはない。
アントニオ猪木イズムにも通じる。 予定調和の事例に対して「プロレスをする」との言葉が使われるときがある。プロレスをさげすむ目があれば師・猪木は歯向かって、社会的価値を上げようとした。異種格闘技戦、巌流島、北朝鮮での「平和の祭典」など師はいつも世間に話題を提供した。少なからずとも武藤はその影響を受けてきた。 「なんだかんだ言って、オレの師匠は猪木さんだから。一寸先はハプニング。この教えもオレのベースにはあるよ。政治の世界でも『プロレスしやがって』みたいな言葉を聞くと、オレだってカチンとくる。その筆頭じゃないけど、前に出て戦っていたのが猪木さんでしょ。そのカチンとくるところが、オレたちレスラーのモチベーションでもあるんだけどね。そのためにはもっとデカい世界にしなきゃいけない。そう思ってやってきたところはあるよ」 眼前の相手と戦いながら、世間やファンの反応とも戦ってきた。試合後にマイクパフォーマンスをやらないのも、武藤なりのポリシーだ。 「プロレスって活字なんだよ。だからしゃべらなくて、想像してもらったほうがいい。メディアも、世間も。人がどう解釈するのかも、プロレスだから。それと(試合を)アートだとオレは思っている。アートに言葉はいらない。みんなが感じたものを大切にしてもらいたいんでね。ただ、今のプロレスはマイクが欠かせなかったりする。時の流れが速いから仕方がない。タイトルマッチが終わったら次に誰が出てくるんだってすぐにつくり上げていかないと回っていかない時代。そうなると説明が必要になるから」