武藤敬司59歳、引退決断の理由──決め手は主治医の一言だった
「引退するよって伝えたらホッとしてたよ」
1984年の新日本プロレス入門から38年、彼いわく「ゴールのないマラソン」を突っ走ってきた。 ずっと付き合ってきたのが膝のケガだった。手術を繰り返してきた両膝は限界に近づき、2018年3月に人工関節にするオペを受けることにした。 ちょっとした希望を感じた。 「手術が終わって目が覚めたときから軽いリハビリがすぐに始まって2、3週間して退院するんだけど、昔と違って可動域が広がっているなって実感できたんだよ」 だが思いもしなかったアクシデントが起こる。リハビリを兼ねてジムのマシンで足腰を鍛えるトレーニングを行った。「今までいかなかった領域までいくから調子に乗っちゃって」深く曲げて力を入れたときに、激痛が走った。膝蓋骨、つまり膝のお皿部分が折れてしまったのだ。 結果的に予定よりリハビリが長引いてしまったものの、手術前の状態より明らかに動けるようになっていた。 しかし今度は別の箇所が悲鳴を上げる。股関節だった。 「人工関節の手術をするときに、体を全部調べてもらったら肘も頸椎もあまり良くないって、そのなかに股関節もあった。(骨盤がすり減って)隙間がないのが気になるって言われて。そのとき自覚症状はなかったんだけど、去年の夏場くらいから徐々に痛くなった。膝が良くなって下半身の筋力を取り戻そうと思ってウエートトレーニングをやった。だけど力の逃げ場がないから(股関節が)摩耗しちゃったのかな、と」
今年元日の日本武道館大会を終えると、痛みは我慢できないレベルに達した。それでも試合をこなし、1月16日の仙台大会を最後に欠場することになった。 「もうこれはダメだなって思ったね。体、全然動かねえし。それで主治医の先生のところにまた行ったら、もし痛みが我慢できないようであれば膝と同じように人工関節しかなくて、そうなるとプロレスは完璧にできなくなるよって。どのみち、今のままやっていけば悪くなる方向にしかいかない。会社からは一回休めば、またよくなる可能性もあるからって言ってくれたけど(復帰した)5月の試合の前には、(引退の)意思はもう固まっていたよ」 主治医の次の一言が決め手になった。 「武藤さん、たぶんこのままでプロレスもやっていくと、おそらく車イス生活になりますよ」 そのとき隣には妻もいた。プロレスをしゃぶり尽くすことができたのも家族がいたから。そう思うと結論はおのずと出た。 「これまでも女房に苦労かけてきたけど、車イス生活になったらまた家族に負担をかけてしまうことになる。だから引退するよって伝えたらホッとしてたよ。それと大谷(晋二郎)が4月の試合で首を痛めて救急搬送されたこともショックだった。ふと思ったのは自分だってもしかしたらそうなるかもしれないなって。今のオレの体はなかなか言うこと聞いてくれないんだから」 かといって、終わりであって終わりじゃない。 来年2月21日までの引退ロードという新たな表現の場ができた。 「(引退の)唯一、心残りは(体の)機能さえしっかりしていれば、感性とかはまだまだ誰にも負けないというのはあるよ。それがあるのに、やめていかなきゃいけないんだから」 笑みを消して、つぶやくようにして言った。一瞬だけセンチメンタルをのぞかせた。