「0-100km/h加速1.9秒の世界は、現実なのに非現実的」電動ハイパーカー、ピニンファリーナ・バッティスタ チンクアンタチンクエに乗る!
バッティスタ・ファリーナが作った工場はのちにイタリアを、否、世界を代表するカロッツェリアとなり、自動車メーカーにもなった。“ピニンファリーナ”だ。 【画像】電動ハイパーカー「バッティスタ チンクアンタチンクエ」とバルケッタモデル「B95」(写真25点) バッティスタが会社を興したのは1930年、37歳の年だった。けれども彼のコーチビルダーとしてのキャリアはその時すでに四半世紀に及んでいた。フルアやボアーノ、ミケロッティ、ヴィニャーレといったそうそうたる面々と同様、彼もまたとある会社で研鑽を積んでいたのだ。その名も“スタビリメンティ・ファリーナ”。バッティスタの兄、ジョバンニが経営する当時の有力なカロッツェリアである。 小さな(=ピニン)ファリーナ(実際に身長も低かったのだそう)として可愛がられたバッティスタは、愛称をそのまま自らの会社名とする。ピニンファリーナの誕生である。 そのうえ彼はファリーナ改めピニンファリーナを新たなファミリィネームとして登録し直している。1961年のことで、その時すでにマラネッロに誕生した新興メーカーとの10年におよぶコラボレーションの甲斐もあって、ともに世界で最も有名なブランド名になっていたのだった。 そんなピニンファリーナも21世紀になってからは何かと不幸続きだった。マラネッロがインハウスデザインとなって“密接な”コラボレーションも解消された一方で、創業家の不幸も続いた。 2014年、ついにインドの大財閥マヒンドラグループの傘下となる。もっともピニンファリーナというブランドにとっては、たとえばレンジローバーなどと同様、悪くない成り行きであった。事実、その独立性(金は出すが口は出さない)は保たれており、デザインやエンジニアリングといったサービス事業は順調にその売り上げを伸ばしている。 一方で、ブランドのヘリテージ=遺産に頼ってばかりはいられない。未来を志向する伝統的ブランドという、これからの自動車シーンに不可欠なイメージを継続的に発展させる必要がある。そのためにはやはり、また昔のように“クルマ造り”に関わることが手っ取り早い。かといって、今の時代、カロッツェリア的な動きではブランド名を際立たせることはできない。そこでピニンファリーナは再び“自動車メーカー”への道を歩み出した。アウトモビリ・ピニンファリーナの誕生である。 彼らの戦略はこうだ。まずはクロアチアの新生リマックとのコラボレーションで電動ハイパーカー“バッティスタ”を少量生産する(クーペ150台、バルケッタ10台)。バッティスタはその昔のピニンファリーナがフェラーリのエンジン&シャシーをベースに客の好みのボディを製作していたように、リマックから送り出されたカーボンボディ&シャシーと電動パワートレーンをベースに、オリジナルデザインのハイパーカーをイタリアで組み立てるという手法を採った。 バッティスタはいわばブランドのアイコン。テスラが初期にロードスターを手掛けた事績によく似ている(価格は10倍以上違うが!)。そしてもちろん次なるターゲットは、もう少し現実的なオリジナルBEVの生産だろう。昨年発表されたプーラ・ヴィジョンがそのヒントとなるはずだ。 ピニンファリーナは核心的なBEVを立て続けに開発することによって、伝統的で将来性豊かなブランドという立ち位置を確立しようとしているというわけだ。 兎にも角にもそのためにはハイパーカー“バッティスタ”の成功は必須である。 否、この手のハイパーカーは市販に漕ぎ着けただけでも成功というべきだろうか。日本に持ち込まれ、イタリア大使館での発表会はもちろん、箱根ターンパイクを貸し切っての公道試乗会まで開くというのだから、ピニンファリーナと輸入元となったスカイ・グループの心意気が伝わってくる。しかも我々が試した個体は、バッティスタ55(チンクアンタチンクエ)で、すでに売約済みの個体である。ちなみ55というのは55年にバッティスタ・ファリーナがデザインしたランチア・フロリダのエレガントなコンフィグレーションをモチーフにしたことに由来する。 とある日の早朝、箱根ターンパイク山頂の侵入路は閉鎖されていた。イベントの参加者であることを告げて“入場”する。しばらくすると“ブルーサヴォイヤグロス”に“ビアンコセストーレグロス”の2トーンカラーもエレガントなバッティスタ55が目の前に現れた。旧知のレーシングドライバー、ケイ・コッツォリーノさんからマシンについての簡単なレクチャーを受けつつ、まずは彼の助手席へと潜り込む。貴族の古い屋敷にあるソファーのような見た目質感のマホガニーレザーはポルトローナ・フラウ製。車体は大きく見えたが、キャビン内はタイトだ。 ドアロックを解除すれば走行準備が整う、というあたりは最近のBEVに共通する。重要なのは五種類あるドライブモード。この日は最もジェントルな「カルマ」(約400ps)で始まり、基本モードの「プーラ」(約1000ps)、そして1900ps・2300Nmを解放する「フュリオサ」の三種類を試すことに。ちなみに他二つは1350psの「エネルジカ」と好みの組み合わせが可能な「カラッテレ」。電気モーターは前2後2の計4機で、バッテリー容量は120kWh、センタートンネルとシート後方にT字型で収まっている。 前日に雨が降った影響で、路面はところどころウェット、落ち葉もけっこう散らばっている。2000ps2000Nm級のミドシップカー(しかもタイヤはパイロットカップ2R!)をいきなりドライブする環境としては、いくら勝手知ったターンパイクといえど、嬉しい状況ではない。 それでもコッツォリーノさんによれば4つのモーターのおそろしく緻密な制御でフルスロットルも難なく可能だという。その言葉だけを信じて、いざ運転席へ。 「カルマ」で自分と車体との関係を探る。軽自動車でもロールス・ロイスでも最初に行う作業だ。おっかなびっくりでスタートするも、マシンとの一体感が半端なく、背中と腰がカーボンボディに組み込まれたかのように動く。前後左右、どの方向にもだ。車体は軽く、前輪は両腕とつながり、後輪が腰と直結する。音もないから精神的な圧迫がない。なにより乗り心地が素晴らしい。硬すぎるボディをそうと感じることもなければ、大きくて溝の少ないタイヤが嫌になることもない。なるほど公道で確かめた甲斐があったというものだ。 「プーラ」にするともう少し“スーパーカー”感が増す。というか、この状態で加速は十分に力強く、むしろそれ以上速く走ることができるなど想像がつかないくらいだ。特筆すべきはトラクションの制御で、踏んでも踏んでも何事もおきない。速度を上げても前輪との密接なエンゲージは継続され、制動フィールも実際の効きも申し分なかった。 要するに、乗り始めてあっという間、ものの数分で“信頼できるクルマ”であることを実感できたわけだ。すべての動きが自分の思いにリニアとでも言おうか。そういう動きを瞬時に見せてくれるハイパーカーはこれが初めての経験だった。 走り出す前は別に試さなくてもいいか、と思っていた「フュリオサ」モードだったが、マシンの完成度の高さを目の当たりにして逆に“早く試してみたい!”となる。「プーラ」もそこそこに、そして「エネルジカ」を飛ばして「フュリオサ」に入れてみた。そして、思い切り踏んだ。 言葉にならないとはこのことだ。息がつまる、というよりも全身がシートに押し付けられてポルトローナ・フラウになってしまいそう。もはや走っているという実感はもとより、自分が運転している気にすらなれない。ロケットの発射はきっとそんな感覚なんじゃないか。0-100km/h加速1.9秒の世界は、現実なのに非現実的だ。F1ドライバーや戦闘機パイロットでしかリアルに処理できない領域なのだろう。 加速の実力はよくわかった。ハンドリングはどうだ?いやはや、これがまた非現実的だ。車が速すぎてハンドルを切れという脳の指令の方が遅いくらいで、鈍な自分の神経がもどかしい。それでもバッティスタはドライバーの力量を刻々と分析し最適な解としてのハンドリング性能を提供し続けてくれる。ターンパイクを下り、上りの後半くらいになると、がぜん“自分のモノ”になった感覚すら生じていた。 この制御は本当に素晴らしい。乗れば乗るほど自分との相性がよくなっていく。もちろん、これまでのスーパーカーともそういう関係性を築くことはできた。ドライバーに習熟する時間さえ与えれば、だ。バッティスタはそれをターンパイク往復でやってみせた。 最新電動スーパーカーの世界、とりわけクロアチアの新星リマックの技術力に改めて舌を巻いた。 文:西川 淳 写真:阿部昌也 Words: Jun NISHIKAWA Photography: Masaya ABE
西川 淳