「意見の一致」「多数決」より重要なことは? ビジネスにも当てはまる理想の政治の3条件とルソーの「一般意志」
■ ルソーが指摘した、現代の政治の問題点と解決策 ルソーは「国家は公益を目的として設立されたものであり、この国家のさまざまな力を指導できるのは、一般意志だけだ」と述べている。 社会は家族よりもはるかに複雑だ。さまざまな人が、さまざまな利害を持つ。一方で共通利益を追求するために、社会がある。だから社会も共通の利益を目指す一般意志を追求し続けるべきなのである。そこで「法」が必要になる。ルソーはこう述べている。 「あらゆる立法の体系は、すべての人々の最大の幸福を目的とすべきであるが、この最大の幸福とは正確には何を意味するかを探ってゆくと、二つの主要な目標、すなわち自由と平等に帰着することがわかる」 このように最大の幸福(自由と平等)のために国民の意志で定めた法に基づいて統治される国家が法治国家だ、とルソーは考え、理想の法治国家の在り方として、古代ローマを例に挙げる。 ローマは理想的な法治国家だった。市民40万人が住むローマでは、市民は週数回の集会を開き、行政官として公共の場にも集まった。市民は頻繁に集会して政治的課題を話し合った。ローマの前に繁栄した古代ギリシャでも、ポリス(都市国家)では人民が絶えず広場(アゴラ)に集まって議論した。当時は市民の代わりに奴隷が労働をしていた。労働から解放された市民は、自分の自由に関心を持ち、積極的に政治に関わったのだ。 ルソーが理想とする民主主義は、こうして人民が自ら政治に関わり、国家の一般意志のあるべき姿を議論する直接民主主義なのである。こうして決まった一般意志が、国家の意志だ。「だから個人は全ての権利を一般意志に差し出して、100%従うべきだ」とルソーは主張した。 人民は積極的に政治に関わるべきだと考えたルソーにとって、代議士を選挙で選び、国家権力を委託する代議士制は大間違いなのだ。 政治の在り方を決める主権は、人民一人一人が持つ。本来この主権は、誰にも譲渡できない。譲渡できない以上、人民が選ぶ代議士は人民の代表でなく、代理人に過ぎない。人民の代わりに最終決定を下すこともできない。そう考えたルソーは、本書でこう述べて暗にロックを批判する。 「イギリスの人民はみずからを自由だと考えているが、それは大きな思い違いである。自由なのは、議会の議員を選挙するあいだだけであり、議員の選挙が終われば人民はもはや奴隷であり、無にひとしいものになる」 この指摘は、現代の民主主義が直面する問題でもある。政治家が国民に向き合うのは、選挙期間中のみ。真摯に選挙民に向き合って公約実現に取り組む誠実な政治家もいるが、できもしない選挙公約を約束し、当選した途端に破る議員もいる。こんな政治家個人の資質に頼る現代の民主主義は、理想の仕組みとは言えない。