がんばりすぎて疲れてしまう前に 「ささやかなもの」に目を向けてみよう
今年は桜が咲いて散るのが、例年より早かったですね。花が散るのは残念ですが、桜の木の周りの地面をよく見ると、名もない草が可憐な花を咲かせています。いや、わたしたちが知らないだけで、名前はちゃんとあるのです。 たとえば「キュウリグサ」や「ノヂシャ」など、忙しい日々の中にも、10秒か20秒くらい、ふと足を止めてそんな花を愛でる時間はあるでしょう。花に限らなくてもいいのです。若葉が芽吹く枝の向こうに見える明るい空、夕陽に映える雲、あるいは、雨の日に窓の外から聞こえてくる静かな雨音、そんなささやかなものにふと目を留め、耳を傾ける。ほんの数秒、数十秒の時間が穏やかな幸せを与えてくれるでしょう。人生の味わいを実感するのは、案外こんなささやかな善きものたちに触れたときかもしれません。
疲れたとき、ふと足元や身のまわりのささやかなものに目を向けてみる
そして、ふだん見過ごしている美や善を感じ取る感性は、知らず知らずのうちに自分を縛っている常識や思い込みから一歩身を引いて、自分の生活を見つめ直すゆとりを生むかもしれません。 もちろん、大きな夢や志に向かって一心不乱に突き進むのも、決して悪いことではありません。夢を見るのは、志を抱くのは、すばらしいことです。ただ、人生はいつも順風満帆ではないのです。大志を抱いて失意に沈むこともあります。あるいは、努力が息切れして、どっと疲れて休みたくなることもあります。そんな時、上を、遠くを見ていた視線を足元に向け、身のまわりのささやかなものを見て、心を満たすことができるなら、心が癒やされ、もっと粘り強くがんばれるかもしれません。そしてたまには、こんな視線の転換が、これまでと違うやり方を発見するきっかけになるといいと思います。 ただ、人はなかなか身のまわりの物事をこのように細やかに感じ取ることができないものです。時間の余裕がない、というわけではないでしょう。どれほど多忙な生活の中でも10秒、20秒あるいは1分、2分くらいのすきま時間はあります。ないのは“気持ちの余裕”です。あるいは、そんなささやかなものを感じ取る感性が鈍くなっているのかもしれません。 気持ちの余裕がないから、感性が鈍ったのか、感性が鈍いから、気持ちの余裕も生まれないのか。どっちがニワトリでどっちが卵か分からないけれど、気持ちの余裕と感性を取り戻す方が人は幸せになれるとは言えるでしょう。では、どうすればいいのでしょうか? まあ、いろんな方法があるのでしょう。人それぞれ、自分にあった方法を選べば良いと思います。わたしが「これはいいかも」と思う方法をご紹介したいと思います。