過酷な現場で働く支援者たちを支えるしくみづくりを 津久井やまゆり園事件を取材したジャーナリストの提言
2016年7月26日に起きた相模原・障害者施設殺傷事件から7年が経つ。植松聖(33)は今、死刑囚として日々を過ごしている。ジャーナリストの佐藤幹夫さん(70)は「事件の検証は十分にはなされていない」と言う。佐藤さんが突き当たった「取材拒否の壁」。私たちはこの事件をどのように記憶すればいいのか。家族や福祉関係者と対話を重ねてきた佐藤さんに話を聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:長谷川美祈/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
津久井やまゆり園事件の「特殊性」
福祉施設での障害者虐待のニュースが相次ぐ。厚生労働省の発表によれば、令和3(2021)年度に全国の自治体に寄せられた相談・通報件数は3,208件で、統計を取り始めてから最多になった。 津久井やまゆり園事件が私たちに問うことは、一つは、障害のあるなしにかかわらず「共に生きる」という考え方をどう根づかせていくか。もう一つは、福祉施設のあり方だ。 ──事件から7年経ちます。改めてどのような事件だったと考えていますか。 「(津久井)やまゆり園事件の特殊性は、いろんな角度からいろんなことが言えると思うんです。例えば、重度の知的障害者が一度に四十数人も殺傷されたとか、福祉施設の元職員が加害者となって利用者を傷つけたとか。ですが、あまり言われていないことがあって、それは何かというと、関係者がほぼ全員、取材拒否だということです。被害者は匿名で、ご遺族・ご家族はほとんど取材に応じていません。実名で応じるのは唯一、重傷を負った尾野一矢さんのご両親、剛志(たかし)さんとチキ子さんだけ。やまゆり園の職員も、取材はさせないという方針でした。当時の施設長や、(園を運営する)かながわ共同会の代表も、自分たちも被害を受けた側だということは話すけれども、『自分たちの職員のなかから、なぜそういう人間が出てきたのか』に関して、本気になって検証したとは思えません」
──佐藤さんはジャーナリストになる前、発達障害や自閉症、知的障害の子どもたちが通う養護学校(現在の特別支援学校)で教員を務めました。その立場から見て、知的障害者施設で植松のような人間が出てきたのはなぜだと思われますか。 「例えば、学校の場合であれば、最初に赴任した学校がどのような理念を持っているかで、ずいぶん変わると思うんですね。子どもたちをがんがん指導して、管理するのか。子どもたちの特性をゆるやかに受け入れて、子ども中心でやっていくのか。福祉も似ているのではないかと思います。植松にとっては、やまゆり園が最初の職場だったわけです。彼がなぜ『障害者は人を不幸にする』という考えを持つようになったかを考えるには、その施設のトップがどのような福祉の理念を持っていたかが重要だと思うのですが、そういうことがほとんどわからない」 ──それが取材拒否の壁ということですね。 「そうです。公判のなかで断片的な情報は示されているのですが、信頼できるまとまった情報がない。入園当初、先輩たちのふるまいを見て、これでいいんだと思ったと考えざるをえないですね」