過酷な現場で働く支援者たちを支えるしくみづくりを 津久井やまゆり園事件を取材したジャーナリストの提言
植松の「未熟さ」と「キレやすさ」
事件当日を短く振り返る。植松は、2016年7月26日午前2時ごろに津久井やまゆり園に侵入し、持っていた包丁で入所者を次々に刺していった。夜勤担当の職員を結束バンドで縛って連れ回し、入所者がしゃべれるかどうかを確認して、職員が「しゃべれません」と答えると包丁を何度も振り下ろした。およそ1時間で45人(職員2人を含む)を殺傷すると、園から東におよそ7キロ離れた神奈川県警津久井署に出頭した。 ──植松は、意思疎通ができるかできないかで命の線引きをしました。どこからそういうアイデアを得たと思いますか。 「それも、検証できないのでなんとも言えません。一つ言えることは、どれだけ重度の障害がある人でも、一緒にすごしているうちに、いろんな反応があることがだんだんわかってくるんですよ。日によって、今日は表情が険しいなとか、紅潮しているけど熱っぽいのかな、とか。こちらは、それに応じて対応をする。そんなの交流じゃないと言われてしまえばそれまでなんだけれども、しゃべれなくても、なんらかの喜怒哀楽のやりとりがあることが、実感として感じられるんです」
「そういうことを、施設だとか(特別支援)学校だとかで働く人たちは少しずつ身につけていくはずなんだけれども、そこがうまくキャッチできないタイプの人もなかにはいるわけです。植松は、やまゆり園の仕事に就いた当初は、(施設の)利用者を『かわいい』と言っています。しかし、これは私の仮説ですが、支援者としてのスキルが未熟で、利用者に反抗されたのではないか。当たり前ですが、どんなに障害が重い人にだって感情がありますから、こいつ嫌なやつだなと思えば言うことを聞かないんですよ。植松にすれば、思いどおりにいかなくてイラつく。そうやって、怒りを募らせていったのではないか」 ──プライドを傷つけられた。 「そうでなければ、支援の現場から『障害者は生きる意味がない』と主張する人物が現れるとは、到底考えられないんです。ただ、植松はそういったことをほとんどしゃべりません。この間(かん)、新聞等々を通じていろんな情報が出たけれども、自分にとって都合のいいことしか言わない。それ以外のことを聞かれるとスーッと遮断してしまって、態度を豹変させてしまう。私からすれば、植松も、実質的に取材を拒否しているように見えました」