女性の地位向上に尽力した母・加藤シヅエ、オードリー・ヘプバーンの決意…娘・加藤タキが語る「女性の未来」
「国際女性デー」に考えたい、50年後の女性のポジション
開戦から2年の歳月が経つウクライナとロシアの戦争。約80年前、全世界を巻き込んだ大きな戦争が終わり、平和を願い積み上げてきた世の中の秩序が、一瞬にして崩れてしまう現実を私たちは目の当たりにしています。女性問題も同じく、ひとつの政策、一人の人間の思惑で、来た道を後退するようなことが起こらないとも限りません。 選挙権も被選挙権もなかった時代から、さまざまな軋轢や格差を乗り越えてようやく手にした女性の権利や自由を、ただ漫然と眺めているだけでなく、さらに拡げていくためには、そこに意識を向けていくことが必要です。日本のジェンダーギャップは146カ国中125位(2023年)と先進国のなかでは最低ランクです。女性の活躍を実現させるためには、社会的な基盤に加えて、パートナーや家族の理解も欠かせません。加藤勘十・シヅエ夫妻が示したパートナーシップがよきお手本です。 「これからの女性たちに期待したいことは?」という問いに対し、「自分自身をもっと観察してほしい」とタキさんは言います。「まだ自分の潜在能力や美点を知らない人がたくさんいるように感じます。トライ、チャレンジ、ファールを繰り返しながら見聞を広め、ぜひ大きな視野を育ててください」 3月8日という日に、先達たちが切り拓いてきたいばらの道に思いを巡らせ、女性の可能性について考えるきっかけとしたいものです。 加藤シヅエ(かとう・しづえ)●1897年(明治30年)、東京生まれ。1914年(大正3年)、女子学習院中等科卒業。同年、男爵石本恵吉氏と結婚し、2児をもうける。ニューヨークのバラードスクール卒業。1920年(大正9年)、産児調節運動のマーガレット・サンガー夫人と出会う。1944年(昭和19年)、離婚後、加藤勘十氏と再婚。1946年(昭和21年)、衆議院初当選。初の女性国会議員となり、28年間政界で活躍。1988年(昭和63年)、国連人口賞を受賞。1996年(平成8年)、国際家族計画連盟「加藤シヅエ賞」創設される。1997年(平成9年)、東京都名誉都民として顕彰される。2001年(平成13年)、104歳で没。 加藤タキ(かとう・たき)●1945年(昭和20年)、東京生まれ。森村学園の初・中・高等科を卒業後、米国ポートランドのJr.カレッジ、およびスタンフォード大学に留学。通訳・コーディネーターの草分けとして国際間を繋ぐ仕事に従事。現在は、講演、TV出演、各種委員、著述など幅広く活動。国際NGO「AAR Japan『難民を助ける会』」副会長など、ボランティア活動にも励む。近著『さだまさしが聞きたかった、「人生の達人」タキ姐のすべて』(講談社) 取材・文= 中島宏枝 編集=今田龍子 内田理惠(婦人画報編集部)