なぜ紅葉“狩り”?←平安貴族の苦しい言い訳 背景に、現代では不可解な価値観 観る角度も今と違う
猛暑の影響もあり平年より遅れているという紅葉ですが、まもなく見頃の季節を迎えます。さて、紅葉を見に出かけることを「もみじ狩り」と呼びますが、ここで単純な疑問が。「狩り」とは動物を獲ることを表した言葉にもかかわらず、なぜ植物であるもみじに使われるのでしょうか?「ぶどう狩り」や「きのこ狩り」などは“採る”という行動が伴うためわからなくもないですが、もみじを採ることは一般的にしません 。日本の文化に詳しい和文化研究家の三浦康子さんに話を聞きました。 【写真】高貴な遊びを好んだ平安貴族たち ☆☆☆☆ 三浦さんによると、紅葉を見ることを「もみじ狩り」と呼び始めたのは平安時代まで遡るとのこと。 「もみじ狩りはもともと平安時代の貴族の間で始まりました。色づいた葉を見物しながら宴を開き、その美しさを和歌に詠んで勝負する『紅葉合』が流行したそうです。江戸時代には庶民にも広がり、季節行事として定着しました」(三浦さん) 「狩り」と呼ぶ理由は何なのでしょうか? 「平安貴族の体裁を保つためのカモフラージュです。当時、貴族は寺社仏閣へのお参拝やお祭りの見物、鷹狩りなど特別な理由以外で平安京の外を出歩くことができませんでした。貴族社会では、無闇に外出して歩くことは“野蛮”なこととされていたからです。とはいえ秋になれば紅葉が見たい……しかし外に出なければいけない……。そこで、面目を保つために紅葉を見に野山へ出かける行為を『狩り』と表現したのです。当時、鷹などの猛禽類を扱った狩猟の『鷹狩り』は天皇や貴族のための娯楽であり、“狩り=高尚な遊戯”だったのです」(三浦さん) ただ、平安時代の貴族による紅葉狩りは現代の楽しみ方とは少し違ったそう。「まず、貴族ですから歩きません。馬での移動が基本です。さらに、貴族として『見上げる』ことはせず、馬上からの目線で楽しむか、枝や葉を手に取って観賞していたようです」(三浦さん) ☆☆☆☆ 「狩り」ではないのに「狩り」と呼ぶのにはこじつけ的な理由が。そんな平安時代の思いに気持ちを馳せながら紅葉を楽しんでも良いかもしれません。 (取材・文=宮田智也)
ラジオ関西