3歳児検診で「検査受けて」発達障害と不登校経て大学生となった息子の親が気づいたこと
「うん、わかった」は信頼関係のはじめの一歩
「大人は腹立たしかったとしても、そういったことをさせてしまった責任を考えなくてはなりません。やってしまった子どものほうも『しまった!』って思ってるんやから、怒るのは逆効果だと考えて欲しい」 そう話す池添さんがアツコさんに伝えたのはこんなアドバイスだった。 ――子どもが言ってくることに対して、まず「うん、わかった」っていうの口癖にしなさい。うん、わかったは、子どもと信頼関係を築くはじめの一歩やねん―― お母さん、あれして、これして、という要望をわがままととらえず「意思表示をしてくれた」とポジティブに受け止めよう。この忠告をアツコさんはまたも実感を持って受け止めた。それまで、自分が家事や仕事の準備で忙しければ「ちょっと待って」と子どもを待たせ、待たせていることさえそのまま忘れてしまうこともあった。悪いことをすれば前述したように強く叱った。 「あかん。自分、逆効果になることばっかやってきたやん、自分が変わらな、と思いました」 それからは、怒りたくなるようなことが起きたらケンタ君が好きな電車のおもちゃを持ってきたり、よく食べる子だったため好物のスティックパンを手に持たせて気をそらせた。息子が機嫌よくしていれば、自分の気持ちも落ち着いた。 「いっつもご機嫌でおる、っていうのが大事なんやって気づきました」
自分の中でパニックをずっと起こしてるお子さん
年長になった節分の日。怖いお面をかぶった鬼がやって来る豆まきイベントを苦手にしていたケンタ君は、その後も保育園に行けなくなった。園の二階に鬼が逃げたため、いつか鬼が出てくるかもしれないから怖いと言う。アツコさんは「大丈夫。お母さんがやっつけるわ」と言ったが、「いやや。お母さんが死んでしまったらいやや」と泣くような優しさがあった。 そんな繊細さに加え、グレーゾーンと言われた特性を心配し、小学校入学前に「支援級を考えているのですが」と伝えると、校長から「大丈夫。面倒見ますから」と言われた。せめて通級をと願い出たが、満員で叶わなかった。入学後、長期休みはなかったが、学芸会など行事の前とその当日休むことがあった。 小学2年生でようやく専門医の診察を受けることができた。診断名は「広汎性発達障害」。例えばADHDなど具体的なものはなく「自分の中でパニックをずっと起こしているお子さん。一所懸命みんなに合わせなくてはと頑張っているので、すごくしんどいと思います」と言われた。 教室で他の児童に迷惑をかけるようなことはなかったが、例えば授業する場所が急に変わったり、担当教員が変わるといった「イレギュラーなこと」が苦手のようだった。行事が迫ると休むのは、出来栄えを気にした教員が日常よりも少しばかり厳しい態度になるからではないかとアツコさんは感じていた。 ところが、4年生から行事があっても休まず学校に行けるようになった。担任や友達との相性が良かったのか、学校にようやく慣れたのだろうか。理由は定かではなかったが「学校に行けるんやったら何でもええわ」と家族で喜んだ。うん、わかったの初めの一歩から、池添さんを信じてやってきた道のりが功を奏したと感じた。 だが、それも束の間だった。5年生からまた行けなくなった。 ◇池添さんの言葉を胸に、息子に寄り添ってきたアツコさん。後編「発達障害、不登校から高校合格、成績上位で大学進学。「逆転」を実現させた母の言葉へ続く」では、不登校だった息子にアツコさんがどのように寄り添って行ったか、そして大学進学するまでの道のりをお届けする。
島沢 優子(ジャーナリスト)