「愛されているのに、満たされない」オードリー・ヘプバーンが生涯孤独だった理由とは
女優としてはもちろん、慈善家としても尽力したオードリー・ヘプバーンですが、華やかな表舞台に立つ一方で、愛を求め続けた人生だったとも言われています。そんなオードリーの知られざる愛にまつわるエピソードをご紹介。 【写真】名作出演時から晩年まで…オードリー・ヘプバーンの美貌ギャラリー
生まれながらのプリンセス⁉ 貴族家系の血を引くオードリー
オードリー・ヘプバーンは、1929年5月4日、ベルギーのブリュッセルで誕生しました。父ジョゼフは13ヶ国語を操る人物で、何かの仕事についたことはないものの、家系図を辿ると王室と関わりのある格式のある家柄の出身。 母エラはバロネスという称号を持つオランダの貴族。オードリーの祖父にあたるエラの父親は政治家というお家柄。生まれながらに品の良さをまとって生まれてきたオードリーでしたが、彼女が6歳の時に幸せな日々に突然終止符が打たれます。父ジョゼフがナチズムの信奉者となり、家庭を捨てて出ていってしまうのです。 その後両親は離婚し、オードリーは母と暮らすことになるのですが、戦時下に突入し、一気に暮らしは困窮することに。愛する父に捨てられ深く傷ついたオードリー。愛を求め続けるのは、父親の愛を得たいという深層心理の現れのように思います。
バレリーナを夢見るも、時代に翻弄され夢の方向転換を余儀なくされる
父親を失い、母と二人で生きていくことになったオードリーはバレエの魅力にどんどんはまっていきます。踊っている時は悲しい記憶を思い出さずに済んだから…なのかもしれませんね。 プロのバレエダンサーを目指していたものの、時は第二次世界大戦下。食べることもままらない状況です。それでもバレエの夢を諦めることはなかったオードリー。しかしながら体格や骨格が成長する時期に十分な食事もできずに栄養失調状態で、師事していた舞踏家のランバートから「これではバレリーナにはなれない」と夢の扉を閉じるほかない決定的な事実を告げられてしまいます。 でも、そこで腐らなかったのはオードリーの芯の強さあってこそ。バレリーナがダメならば、同じ舞台で活躍できる女優になる!と演技の道へ進むことを決意するのです。この決断があったからこそ名優オードリーが生まれ、歴史に名を残す女優の一人になりました。