「コーチは教えない」と言うけれど
コーチングに出会って、そろそろ20年が経ちます。長いようであっという間でした。私にとってコーチングは、今でも学ぶことが多く、面白いと同時に、いつまでたっても難しいものでもあります。中でも難しさを覚えるのは、コーチングのコーチングたるゆえんである一丁目一番地「コーチは教えない」ということです。プロとして「コーチ」のキャップを被るときもさることながら「上司」という帽子を被るときは特に難しく感じます。 みなさんは、部下や同僚の抱える問題に、気づくと自分が手を出していたり、解決しようとしていることはありませんか? 「自分がやった方が確実だ」とか「部下が失敗しないように手助けしたい」という思いが、ムクムクわき上がり、気づくと自分が解決策を考えている。 私にはよくあります。 もちろん、部下の開発や育成に対してコーチングが万能なわけではありませんから「教える」ことも必要です。しかし「教えない」には、それを越える関わりの可能性があるとも思うのです。
「部下の人生に責任はとれないから」
「教えない」というあり方において、Sさんは印象に残っているクライアントです。出会った当時のSさんは、日系の重厚長大系メーカーの米国トップを務めていらして、歴史ある一つの大きな事業を、米国から撤退させなくてはならない難しい局面にありました。私は「当初想定していた以上に修羅場になりそうなので、Sさんをサポートしてほしい」とSさんの上司からコーチを依頼されました。 一時帰国中のSさんに初めてお会いしたとき、Sさんは自身のリーダーシップについて、こんなことを話されました。 「自分の人生さえコントロールが難しいのだから、いわんや部下の人生になんて責任取れないと思うんです。だから、自分のことは自分で責任取ってね、と部下にも常々言っています」 私は、ずいぶん割り切りがいいな、と潔さを感じると同時に、少し冷たさも感じました。 しかし、その後に実施した360度フィードバックアンケートや部下へのインタビューから浮かび上がってくるSさんのリーダーシップは、私の最初の印象を大きく裏切るものでした。ある米人幹部は、Sさんについてこんなことを話してくれました。 「Sさんほど話を聞いてくれる日本人リーダーに、これまで出会ったことがない。彼は、僕の話を聞いてくれるだけではなく、自分の考えも明確に話してくれる。僕らは時に反対の意見を持つこともあるが、お互いに方向性を合わせるために話し合うことができる。そして方向性を握った後は、彼は決して僕のやり方に踏み込んでこない」 その話しぶりからは、彼がSさんに厚い信頼を寄せていることが伝わってきました。