些細なことに傷ついたり、周囲に敵意を抱いたり、仲間から孤立したり…「思春期後期」になった高校生がおちいる「迷いと不安」
日本は今、「人生100年」と言われる長寿国になりましたが、その百年間をずっと幸せに生きることは、必ずしも容易ではありません。人生には、さまざまな困難が待ち受けています。 【写真】じつはこんなに高い…「うつ」になる「65歳以上の高齢者」の「衝撃の割合」 『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)では、各ライフステージに潜む悩みを年代ごとに解説しています。ふつうは時系列に沿って、生まれたときからスタートしますが、本書では逆に高齢者の側からたどっています。 本記事では、せっかくの人生を気分よく過ごすためにはどうすればよいのか、『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)の内容を抜粋、編集して紹介します。
未熟な価値観の崩壊
思春期も後期、すなわち高校生になるころには、意識や思考の深化もあり、それまでの未熟な価値観が崩れて、迷いと不安に陥ることもあります。アイデンティティの拡散と呼ばれる状態で、まとまりのある自己像が描けず、これでいいのかと日々の生活に戸惑いを感じたり、些細なことに傷ついたりして、周囲に敵意を抱き、仲間から孤立したりします。 私も高校一年生になってすぐ、同じ高校に進んだ中学時代の彼女にフラれ、その理由がわからずにつらい日々を送っていました。学業でも思うような成績が取れず、クラブと勉強の両立に悩んで、レギュラーのポジションを与えられていたサッカー部を三学期に退部しました。部員からは「根性なし」と罵られ、脱落者として口もきいてもらえなくなりました。 高校二年生になって、むずかしい本なども読みはじめると、哲学的な思想にも触れ、形而上学的な世界に没頭してニヒリズムに惹かれ、人生や世の中に意味も価値もないという極端な思想を抱いたりしました。高踏的になり、懐疑的かつ独善的になって、大人の常識を軽蔑し、俗世間を嫌悪しながら、拡散した自己をまとめることもできず、不安と鬱屈を抱えていました。 そんなふうになったのは、Aという早熟な友人の影響からでした。彼はカントやショーペンハウアー、ニーチェなどを読破し、「真に優れた才能は、それを無駄遣いすることに価値がある。才能を生かして作品を残すのは俗物のすることだ」などと言って、過去にはモーツァルトやミケランジェロ以上にすごい天才が、作品を残すことを軽蔑して消えていったはずだと話していました。 Aは中学も私と同じで、卒業式のあと墓地で道徳の教科書を燃やし、高校では最初のテストでクラストップの成績を取りながら、ロシア文学に傾倒して勉強を投げ出し、成績が下降しても超然としていました。 私は高校二年生のときにAと同じクラスになり、その影響で哲学書や小説を読みはじめ、中学時代の明るい優等生から、陰気で露悪的な高校生に変貌しました。冬には祖父が使っていたマントを羽織って登校し、長髪を逆立て、雨の日でも傘をささずにわざとずぶ濡れになって歩いたりしました。そのころ描いた自画像を見ると、全世界を呪い滅ぼそうとしているかのような暗い憤怒の表情になっています。