些細なことに傷ついたり、周囲に敵意を抱いたり、仲間から孤立したり…「思春期後期」になった高校生がおちいる「迷いと不安」
思春期の嵐
これは精神保健学では「思春期の嵐」と呼ばれるもので、不安定な感情、反抗心、怒りや不満によってアイデンティティが混乱した状態です。 当時、私はクラブをやめて勉強に打ち込んだものの、思うように成績が上がらず、前述のような不登校や、睡眠時間をギリギリまで削って勉強して、苦しい思いを持てあましていました。同級生たちは文化祭を楽しんだり、クラブで活躍したり、音楽や映画の話で盛り上がり、青春を謳歌していました。私もそういう時間をすごすべきか、それとも勉強に集中すべきかを迷い、答えが出ないまま宙ぶらりんの状態になっていました。 そんなとき、早熟なAが、明るい青春も地道な勉強も平然と否定して見せたのです。そしてロシア文学に描かれた奥深い思想や、世の中に対する論評を聞かせてくれました。それはアイデンティティが混乱した私には、たいへん魅力的なものでした。 私もドストエフスキーやトルストイを読みはじめ、十分に理解できないまま、高踏的な気分に浸るようになりました。Aといっしょになって同級生を軽蔑し、高慢な性格になりました。勉強は続けていましたが、睡眠時間を削るようなことはせず、成績にもさほどこだわらなくなりました。高校の勉強など、取るに足りない俗世間の話だと軽んじていたからです。 ところが、不思議なことに勉強の手綱を緩めると、逆に成績が上がりだし、模擬試験で名前が廊下に張り出されるほどにまでなりました。私は有頂天になり、ますます高慢になりました。 そして、二学期のある日、自室で中間テストの勉強をしていたときに、ふいに目の前にロシア文学さながらの長編小説が思い浮かび、自分でも止められなくなりました。勉強しなければと思うのですが、メモを取る余裕もないほど場面が展開し、登場人物が動き、しゃべり、物語が怒濤のように押し寄せて、私を圧倒しました。内容ははっきり覚えていませんが、自分たちと同じような青年が友情を巡って葛藤するドラマだったと思います。 そのまま床に就き、翌朝起きたとき、私は自分が小説家になるという確信を得ていました。私にとっては強烈なアイデンティティの確立です。 以後、勉強の手を抜いたせいで、高校三年でまた成績が下がり、大学には一年浪人して入って、その後、いろいろ迷ったり挫折したり進路を変更したりしましたが、自分が小説家になるという思いだけは、一貫して揺らぎませんでした。 こういう強いアイデンティティが与えられることがよいのか、悪いのか、それはわかりません。生きていく上で確たる思いは得られますが、夢が実現するまでは満たされない思いにさいなまれ続けましたし、実現しないまま終われば、深い挫折、落胆に襲われたでしょう。人生の終わり近くになって、アイデンティティの崩壊に直面させられるのは、そうとうつらいと思われます。 今でも、もし自分が小説家になれていなかったらと思うと、目の前の地面がかき消えるような不安と恐怖に駆られます。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)