僕が内定していたTV局を蹴って、小さな自動車雑誌の編集部員を選んだ理由
そこで言われたのは、「もう、わかったと思うけど、TV業界は外から見るほど華やかでもないし、こんなの付き合ってられないよ! といったところも多い仕事だよ。もし、TVの仕事をするのなら、そこのところをよく考えてね」と、貴重なアドバイスをもいただいた。 そこは僕も実感していた。TV局のあれこれに実際に接しているうちに、重苦しい現実の比重が徐々に大きくなり、TV局に入り、シナリオライターを目指すという夢は、じわじわと萎み始めていったのだ。 そんなタイミングでの、上記したディレクターの話が強く胸に刺さり、僕は一気に、長年の夢を捨て去る決断を下すことになった。 ちなみに、その頃には、すでにTV局への入社は内定していて、家族も友人たちも大きな拍手を贈ってくれていた。、、なので、とても辛く厳しい決断だったが、僕はナタを振り下ろした。 となれば、次に目指すのはなにか、、もう3月に入っていたので、時間の余裕もまったくない。当然、大手の会社の就職活動時期はとっくに終わっている。
途方に暮れていた時、温かいアドバイスをくれたのは、義理の父(家内の父)だった。 「君は文章を書くのが好きで、クルマが好きなんだろう。だったら、とりあえず、自動車雑誌の編集部にでも入ってみたらどうだ。ツテはあるから聞いてみようか?」と、、。 僕はその言葉にビビッとはきたが、なかなか現実感として捉えることはできなかった。 当時はまだ、自動車関係のライターでは「豊かな未来は望めないだろう」と考えていた。そう思いながらも、一方では「クルマに乗って原稿を書く仕事」には強く惹かれた。やってみたかった。 「一生の仕事を決めるわけでもないし、とりあえず一度やってみてもいいか」という気持ちが日々強くなり、結局、父に頼んだ。 東京駅八重洲口にある小さな出版社だったが、編集長との一度の面接だけで、編集部員として入社することが決まった。