僕が内定していたTV局を蹴って、小さな自動車雑誌の編集部員を選んだ理由
でも、授業は面白くなくても、学生は個性的で面白いやつが多かった。放送学科以外にも多くの友達ができたが、誰といても、いろいろな話で盛り上がった。楽しかったし、勉強にもなった。 そんな仲間たちが目指している仕事で、もっとも多かったのは、当時全盛期を迎えていたテレビ局への就職。 僕も卒業まで1年ほど残した頃から、テレビ局への就職を目指し、まずはテレビ局でのアルバイトを探した。 幸いなことに、親のツテでフジテレビの役員を紹介され、アルバイトをさせてもらえることになった。 で、与えられた仕事は、当時人気だった番組を牽引していたディレクターの付き人。簡単にいえば、ディレクターの雑用係だ。 付き人になったディレクターは、花柳流家元の家系をもつ著名な方で、雑用係とはいえうれしかった。日芸の友人たちにも言いふらして自慢したかったが、そこはグッと堪えた。
著名な方なのに、とても優しい方で、アルバイトの僕にも丁寧な言葉を使い、温かく接してくださった。ほんとうに、ありがたく、うれしかった。 花柳さんが僕に何かを手伝わせることはほとんどなかった。ただ、「出演される方々、スタッフの方々のやること、動き、そしてやりとりを、注意深く見ていてください。それがいちばん勉強になりますよ」と言われただけだった。 「注意深く見る」とはいっても、初めは何のことやらわからず、ただ漫然と見ていたのだが、回を重ねるごとに、花柳さんの言われたことがわかるようになり、どんどん面白くなっていった。 演出という仕事が、番組にとっていかに大事なことかをだんだん実感できるようになり、台本/シナリオの良し悪しが、番組の命運を大きく左右することをも実感できるようになっていった。 花柳さんと個人的に話せたのは、立ち話程度の機会しかなかったが、担当ディレクターはよく時間をくれたし、話し相手にもなってくれた。バイト最後の日には、食事にも誘ってくれた。