旅、果物と埃の匂い、エナジー・バー的な断面、棗の甘み。/執筆:田口かおり
韓国へ行ってきた。光州ビエンナーレの最終週、ニコラ・ブリオーのディレクションのもと展示される作品たちを見ておこうと思いたち、短い旅に出たのである。飛行機を乗り継いで光州空港に辿りつき、当地の香りを吸い込んだその瞬間、目の前がきらきらとひらけて信じられないほどすこやかな気持ちになったので、笑ってしまった。いつもとは違う場所で呼吸をしていることが嬉しい。寒いことも、まるきり土地勘がないことも、韓国語に自信がないことも、なにもかもが素晴らしい。旅ってなんて良いものなんだろう。ふりかえってみれば、コロナ禍以来、ほぼ4年ぶりの国外である。コロナ禍の直前にニューヨークへ出向いたことが、もはや遠い昔のことのように思える。 保存修復の専門家 田口かおりさんの1ヶ月限定寄稿コラム『TOWN TALK』を読む。 朝鮮の伝統的民俗芸能である「パンソリ」そして「サウンドスケープ」のキーワードを冠する今回のビエンナーレでは、おそらくさまざまな音──聴覚がひとつの鍵となる作品が多いのだろうという予想の答え合わせをしながら会場をまわるなかで、むしろ匂い──嗅覚を刺激する作品が印象に残った。ガレ・ショワンヌのインスタレーションでは、床に点在する果物のうっすらと熟れた気配と焚かれた香がまじりあって作品への道標となっている。サーダン・アフィフが旧警察署で展開した《永遠のパビリオン》では、場に蓄積した幾層もの埃や塵、湿ったコンクリートと黴の見知った匂いが鼻先を刺激するので、知らずと呼吸が浅くなった。こうした作品がある一方で、たとえばケヴィン・ビーズリーが、Tシャツやドレス、靴紐などを無臭透明な樹脂のなかに封じ込めているさまもおもしろい。ぎゅっと圧縮された色とりどりの端切れは、エナジー・バーのような歯応えを想起させる側面を堂々とさらしていた。眺めているうちに猛烈にお腹がすいて、近くの喫茶店に入りキャラメルナッツのチョコレートケーキを食べ、甘みのある紅茶を飲んだ。普段あまり食べないものが無性に欲しくなる、これも旅の常である。