旅、果物と埃の匂い、エナジー・バー的な断面、棗の甘み。/執筆:田口かおり
韓国に来るのは、人生で3度目だ。1度目はまだ幼かった頃、船旅が好きな母の希望で、家族で連れだって釜山を訪れた。あの時もとても寒くて、温かいお茶を頂ける喫茶店を探して朝靄の波止場を歩きまわった。右手に握りしめていた母の黒い上着のもくもくした袖口をよく覚えている。お店で頼んだお茶にはじめて味わう甘い風味があって驚いたことも。この紅茶に少し似ているな、ともう一度ゆっくり口に含む。懐かしい、棗のような味がした。 旅に出ると、もう会うことが叶わない人のことを思う。同時に、これから自分はいくつ見知らぬものに出会い、いくつそれを忘れていくのだろう、ということを。どちらの考えも胸に一瞬影を落とすけれど、それでもやっぱり、旅は素敵である。いつもの場所から離れ、動き、眠り、目覚める。いくつかの朝と夜を繰り返すうち、実のところどこまでも自分は自由なのだ、というきっぱりとした確信を、必ず取り戻すことができる。
プロフィール
田口かおり たぐち・かおり|1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画修復科修了。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は保存修復史、修復理論、美術史。東海大学教養学部芸術学科准教授などを経て、現在、京都大学人間・環境学研究科総合人間学部准教授。近現代美術の保存修復や調査のほか、展覧会コンサバターとしても活動中。著書に『改訂 保存修復の技法と思想――古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』(平凡社ライブラリー)『絵画をみる、絵画をなおす 保存修復の世界』(偕成社)など。 text: Kaori Taguchi edit: Ryoma Uchida
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