推しに感動して「すごかった」しか言えない人が、感想を書き残すのは無意味か?
なんのために感動を言語化するの?
しかし「じゃあ感動を呼びさましてくれた推しに感謝! 感動は感動のままに、言語化せずに終わりましょう!」だと......SNSにもブログにもファンレターにもなにも書けずに終わってしまいます。それは困りますよね。いや、もちろん本当に感動した経験って、自分のなかに留めておいてもいいんですよ。なにも無理に他人へ伝えなくても、自分の記憶として脳内に置いておくのも一手です。 しかし私は、「たとえ自分しか見ない日記やメモのなかだったとしても、自分の言葉で感動を言語化して、書き記しておくのはいいことなんじゃないか」派です。 なぜなら、自分の言葉で、自分の好きなものを語る──それによって、自分が自分に対して信頼できる「好き」をつくることができるから。 私は書籍の中で「自分の好きなものや人を語ることは、結果的に自分を語ることでもあります」と書きました。そもそも、好きなものや素敵だなと思った人って、すごく大きな影響を自分に与えてくれますよね。もちろん嫌な経験や辛い出来事も自分を形づくるものではありますが、やっぱり好きなことの影響は大きい。 だとすると、自分を構成するうえで大きなパーセンテージを占める好きなものについて言語化することは、自分を言語化することでもあります。そして、なにかを好きでいる限り、その「好き」が揺らぐ日はぜったいにくる。私はそう思っているのです。
三宅香帆(書評家)