最悪の事態は「トーキョーパンデミック」? 「不公平」五輪、強行開催なら「白いメダル」を
「トーキョーパンデミック」はあるか
新型コロナウイルスの感染拡大は、人間の地球規模における過剰移動と過剰集中によるところが大きい。このところの世界の観光地の人の多さは異常であった。そしてオリンピックこそは、今の世界で最大級の人間移動集中装置であり、そこで感染が起これば巨大なクラスターマシンとなりかねない。 来日する人にはワクチンを打つ、PCR検査を行う、というが、どうしても漏れがあるだろう。スポーツとは興奮するものだ。行動も会話もアクティブになる。選手同士の交流はもちろん、 大会関係者、報道関係者、街の人々がそれぞれ接触することもあるに違いない。飛沫が飛び交い、新たな感染者が増えていく中で、新しい変異株が出ないとも限らない。 「安心安全」を呪文のように唱えても、事実はその反対「不安かつ危険」である。オリンピックは一種の祭りであり、あらゆる種類の国家と民族、そして風土、言語、宗教、文化が、激しく熱気を帯びて混合する場である。いかなる対策をとっても、そのような集団と状況を、語学の苦手な異文化交流の機会の少ない島国の人が制御するのは難しいのではないか。得意の「自粛」も通用しないし、心のこもったおもてなしと、厳しい規制は背反するものだ。 最悪の事態を想定しよう。 オリンピックで危険な変異株が生まれ、感染者に自覚症状がないままそれぞれの国に帰り、感染が広がれば、そうとうの犠牲者が出る。新しいパンデミックは「トーキョーパンデミック」と呼ばれるかもしれない。ブカンとトーキョーが並んで、人類の歴史に悪名を残すことになるのではないか。 武漢の研究所流出説も再び浮上して、世界の人々の心の中に中国の責任論が膨らみつつある。そこに日本の責任論も加われば、東アジア系の人間に対するヘイトクライムも急増するだろう。これまでに積み上げた、日本選手はフェアプレイである、日本の観客はゴミを持ち帰り礼儀正しい、などの評判が崩れ落ちるのは残念ではないか。 もちろん最大の責任は、開催権をもつというIOCにあるだろうが、世界の人々はそのことを認識せず、日本の責任と考える可能性がある。日本という国と文化には、単なるオリンピック組織としてのIOCなどとは比較にならない歴史的存在感があるからだ。そして一国の総理たる人間は、今の日本人だけでなく、その歴史的存在感を傷つけないようにする責務がある。