1000日間の過酷な修行を経て実感することとは?/塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」
1300年間にわずか2人しか成し遂げた人がいない荒行「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満行者、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)。最難関の命がけの荒行を経験し、修験道を極めた塩沼さんがいま切に感じるのは「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」ということ。 塩沼さんの最新刊『くらしの塩かげん』から、私たちの“あたりまえ”の暮らしにそっと光を灯す小さなヒントをお届けします。
自信を育てよう。
文/塩沼亮潤 1000日間、片道24kmの山を歩いて往復する、千日回峰行という修行のときの話をしましょう。 ただ歩いても一日は一日。精一杯歩いても一日は一日。だからこそ、一切の妥協や手抜きをしないという強い気持ちで初日から歩み続けました。 自分が修行中にどう行動したか、どんな気持ちで取り組んだかは、心のハードディスクにすべて記憶されています。 その記憶の中で、1000日間で一日の後悔もなく、精一杯やりきったという自信があります。そのことが現在に至るまで、私の心の大きな軸となってくれているように思います。 地道な積み重ねですが、ちゃんとした日々を過ごしていれば、自然と自信につながっていきます。 自信とは「自分を信じる」と書きますが、自分で自分を信じきれるくらい努力を積むことができているか、自問自答してみてください。 根拠のない自信、という表現もありますが、それは基礎のない家のようなもの。揺るぎない自信がある人は、どこか誰も知らないところで自信を育てています。そして、根拠があるからこそ、困難に立ち向かい挑戦することが楽しくなるのです。
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
1968(昭和43)年、宮城県⽣まれ。1987年奈良県吉野の金峯山寺で出家得度。1999年「⼤峯千⽇回峰⾏(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満⾏をはじめ、2000年には9⽇間の断⾷・断⽔・不眠・不臥の中、御真⾔を20万遍唱える「四無⾏(しむぎょう)」を、2006年には、100日間の五穀断ち・塩断ちの前⾏の後、8000枚の護摩を焚く「⼋千枚⼤護摩供(はっせんまいだいごまく)」を満⾏。同年故郷の仙台市秋保に福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)を建立。「⼼の信仰」を国内外に伝えている。簡単なようで難しい日々の「あたりまえ」の大切さを綴った最新刊『くらしの塩かげん』(世界文化社刊)大好評発売中。